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BLの丘
あやつるものよ 1
2011-11-11-Fri  CATEGORY: あやつるものよ
北風が吹き抜けてきた季節。何の遮りもない駅のロータリーで待つ安城千種(あんじょう ちぐさ)の頬と指先は赤くなっていた。
もともと男にしては白い肌の千種は、温度にしても表現にしても顕著に色を表す。
身を切るような寒風が千種の少し伸びたサラサラの黒髪を揺らした。
二重瞼の下にある黒い瞳はどこか苦しそうに、不安を宿している。儚げな印象を、過ぎていく人間に与えていた。
彼のいでたちからして、声をかけようかと迷う人間が遠巻きに様子を伺っていたが、緊張していた千種は気付く気配を見せない。
フリースのタートルの上にレインコートとしても使えるウィンドウブレーカーを着た姿は、今から登山にでも向かうのか…といった雰囲気だ。
街にはクリスマスの飾りが増え始めていた。今まさに、夕暮れの駅前にイルミネーションが点ったところだ。
周りからざわめきも聞こえてくる。
間もなく年末を迎えることを意識させてくる。
そんな中で、千種が持っていたのは登山とは無関係そうな荷物、中型のスーツケースだった。

約束の時間まではまだ三十分以上あった。
何もこんな寒空の下でなくても、構内でも近くの飲食店でも、暖を取れそうなところはあると思う。
だけど千種は恐怖で、そこから動けなかった。
聞いていた連絡先だってある。待ち合わせた人間も当然知っているのだから、その時間になれば何かしらの連絡をくれるだろう。
そう信じているのに、心の奥底で通りすがれてしまうような恐怖心があって動けなかった。
駅の入り口は一つではない。別の入り口を使われたら姿を見ることもできないのも承知している。
ここで待つのは、最後まで彼を信じたかったからに他ならない。
もし捨てられても、騙されても、千種は恨み事一つ言えるような立場になかった。
ここで会えなくても、千種は相手の男、元上司である岡崎吉良(おかざき きら)に何を言う気はなかった。
今ここに立っているのは、一種の賭けなのかもしれない。

岡崎は以前千種が勤めていた会社の上司である。
36歳でありながら部長クラスまで昇った男だった。野心的な瞳を向けつつ、人を懐柔していくような温かみがあった。
しっかりと撫でつけられた髪とキリッとした眼差しを持つ男は色々な事を見透かし、厳しい意見も優しい労いもかけてくる。
その年に見えない筋肉のついた体が魅力的でもありなんとなく不思議に思って、いつかの飲みの席で聞いてしまえば、嫌がらずに答えてくれた。単純に『ジムに通っているんだ』と恥ずかしそうにいう。
鍛えることの何が悪いというのだろう。内面を晒す照れくささまで見せてくれたことに千種は胸が高鳴ったものだ。

海外とも商取引のある大手企業で千種は働いていた。大学を卒業し就職して六年。着実に仕事を進めていた千種だったが、慣れた仕事の余裕さが気の緩みを生みだしていた。
営業部の中にある経理を預かる、つまり内勤事務だった千種は、それらを社の会計に回す際に大きなミスを犯した。
営業が出した見積もりを制作し、それらに判を押して上層に回す。了解を得た営業は契約書を作成し相手企業と契約を作っては結んで…。
その一端で一つの綻びが生じた。
金額が一ケタ違っていたのだ。しかも『0』を一つ落とした契約書。
気付いたのは契約を交わした後だった。

社内の全部が揺れ動いた一大事に発展した。
事は営業同士の話し合いだけには治まらず、幹部役員を総動員する事態となった。
表舞台に立てばマスコミなどにも叩かれる、信用問題も絡み社運を揺るがしてしまうほどのもの。
総動員で相手企業に土下座をして、どうにか免れた負債だったが、千種に社員から向けられる視線は厳しいものだった。
書類を元に初めに作成してまわしてしまった千種は、次ぐ日には抱えていた全ての案件を取り上げられた。
真っ更になったデスクの上でやる仕事もない。
受付が受けた電話すら、『係が変わりました』と慌ただしく社内の変革を告げていた。

…もう、ここに自分の居場所はない…。

否応なく、千種は『自主退社』の形をとらされていた。
会社に与えた損害の大きさも分かるから、ほのめかされたまま、退職金は受け取らなかった。

それほど大きな企業を抱えながら、適当に過ごしてきてしまった現実を改めて千種は知る…。

そして千種が撒いた種は、自分一人のことでは済まなかった。
書類をきちんと確認しなかった連帯責任とでもいうのだろうか。スルーしてしまった課長と部長は、役職はそのままでも地方支所の配属に変えられた。
それも1カ月にも満たない間での緊急な措置。
万が一失敗があったとしても本社より損失が少ない取引相手ばかりだからだ。
さらに企業を取り入れる実力を試される場でもあるのかもしれない。
いわゆる…左遷である。

課長である30代の男は、配属先が決まった時に、社を去る千種に対して平手で叩いてきた。
「おまえが…っ!おまえさえいなければっ!!」
家族を抱えた彼は、仕事を辞めて路頭に迷うこともできなかった。
家族を置いて単身で地方に向かうのだという。
千種は何も言えずに、彼の悲しみと悔しさを受け入れるしかなかった。
憎悪はもう…、充分なほど身に受けている。

会社を辞めて、今後をどうしようかと呆然とアパートの一隅にいた時、不意に玄関の呼び出し音が鳴った。
いままでの規則正しい生活から離れて1週間が経つ。
仕事を探そうと体を動かす気力すらなかった夕時だった。
インターホンの外から聞こえた声は、…ずっと自分を可愛がって来てくれた部長、岡崎の声だった。
形式的な挨拶だけは済ませていたが、自分の失態を思えば自分から何かを言えるわけもなく、逃げるようにして社屋を飛び出してきた。その日以来だ…。
岡崎もまた、課長より遠くの違った方面に飛ばされることになった上司であった。

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更新ないのに来てくださった方、ありがとうございました。
また不定期になりますけれど書いていきたいと思います。
(…つか、バナー…こわいなぁ…。ぐるぐるしてそう…。)
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あやつるものよ 2
2011-11-12-Sat  CATEGORY: あやつるものよ
寒空の下で待つ千種の前に、スッと陰りができる。
目の前に立った男に視線が釘付けになった。
…本当に来てくれたんだ…。
千種の中に湧いたのは感動、感激…。何よりも喜び…。
「こんなところで待っていたのか…。まだ時間はある。コーヒーでも飲もう」
強引とも思われる仕草だが、決して嫌なものではない。こうやって部下を引っ張っていってくれるさり気なさも見える。
岡崎は、自分を避けようとする相手は決して誘うことなく自由にさせ、少しでも気を置く人間であれば底から知りあおうとする。
それもさりげなく、誰に言いふらすこともないという安心感を身につけて…。
だから信頼された。各個人の何かを知りつつ、決して口外しない男。

夢物語のことかと思っていた千種にとって、目の前に現れた岡崎の存在は、あまりにも安堵し大きかった。
かじかんだ掌に添えられた温かさに、瞼の奥が熱くなった。
同じく手にしているのはスーツケース。
聞いていた話が嘘でなかったのだと、改めて知った…。


2週間前に、岡崎は千種のアパートを訪れてきた。
過去、同じく左遷させられる課長から酷い仕打ちを受けた千種だったから、また部長からも罵られるのだろうと覚悟していた。
玄関で出迎えた時、岡崎は「少し、話をしたい」と申し出てきた。
玄関先で出来ることではないのだと即座に悟れる。
少々散らかっていたが、この場で元上司を追い返すことなど千種にはできなかった。
居住空間に招き入れると、岡崎はくるりと首を回して生活ぶりを見たようだった。
「元気だったか…?……って、聞く方が野暮か……」
重苦しい雰囲気が狭い部屋に流れる。
見た目だけで千種の疲弊は感じ取れるのだろう。
「俺は…」
…大丈夫です…、と声を繋ぎたかったのに、心優しい岡崎を知るからだろうか。隠した声が零れなかった。
代わりに漏れたのは言いようもない涙だった。
自分一人だけの責任ではない。周りの何人もの人間を巻き込んだ事態に、悔しさと情けなさが込み上げてきた。
自分は辞めることで逃げられた…。だけどその後も汚名を着せられた数々の人が会社の中で生きていくことになる。

零した涙を掬ってくれる温かな指があった。
驚いて顔を上げると、間近に岡崎の悔しそうな表情が見える。
「すまなかった…」
謝罪の言葉の後に、意味も分からない千種の瞳が大きく見開かれた。
なぜに、…、どうして…?
恨まれても謝られることなどないはずだ。
真意が分からなく、震える睫毛に唇が一つ舞い降りた。

「この先はどうする?千種さえ嫌でなければ、俺についてこないか?」
初めて聞いた呼び捨ての名前。
言われていることの全てが意味が分からなくて、目の前にある精悍な表情に視線で問い詰めてしまう。
「新しい土地に、一人でいるのは不安なんだ…。千種さえ良ければ、傍に居てほしい…」

千種には岡崎を地方に追いやったという負い目があった。
そして今の地で新しい仕事に向かおうという意欲もなくしていた。
岡崎にしてみたら単なる気まぐれなのかもしれない…。
それでも孤独になってしまった千種は、藁にもすがりたい気持ちのほうが大きかった。
岡崎は、以前から憧れていた人だった。彼のようにいつかなりたいと…。
その男に声をかけられて、無職の自分が、尚且つ、迷惑だけをかけた人間が、どうして断れようか…。

「来週にはこちらを発つ。新しい住所はここだ。携帯の番号は変わっていない。……新幹線の指定席だ。千種の分も取ってある。いらなければ……金券ショップにでも売ればいい……」
スッと差し出された乗車券と指定席券。
会社から支給されるのは当然ながら一人分であるはず…。
すでにその席を押さえた心境はいかがなものなのか…。

夢の世界に誘っておきながら突然闇夜に落とされるような恐怖があって、深意を聞けなかった。
言うことを終えたと、岡崎はすぐに千種のアパートを出て行こうとする。
「ぶちょ…」
「おまえはもう退社したんだ。俺は上司でもなんでもない。一個人として俺は千種を見る」
ズンと胸の奥が鳴った。
抱えてきた何もかもから解放されるような安堵が広がる。
去り際、岡崎は誰に向かうでもなく、ぼそりと呟いた。
「俺は…5年は戻れないだろう。いや、もしくは向こうに骨を埋めるかな…」
何かを悟った言葉…。背に何かを負いながらも、野心を込めた瞳は曇っていなかった。
千種に何を決断させたかったのか…。

会社を追い出され、自暴自棄になっていた自分に少しでも明りを灯してくれた人の好意を…。たとえそれが嘘であっても、千種は自分を励まして賭けてみたかった。
裏切られても決して恨まない。
千種はその日、アパートを解約する手続きをとっていた。
もう、どこにも戻れない…。

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あやつるものよ 3
2011-11-14-Mon  CATEGORY: あやつるものよ
並んで立つと身長差がはっきりとあらわれた。
岡崎が以前から背の高い男だとは認識していたが、まっすぐに向けると肩が視線の先になる。
こんなに近くに並ぶことはあまりなかった。
意識していなかったと言えばそれまでだが…。話をするときは会議などで席についていたり、個人的に話をするにしてもどちらかが座っていることが多かったと振り返る。
開襟したシャツの上にVネックのセーターとジーンズ、ステンカラーコートを羽織った姿は、見慣れたスーツ姿よりもずっと若い。
いつもきちっと撫でつけられていた髪も軽く横に流している程度だ。
だが颯爽と歩く姿は堂々としていて、過ぎる女性の視線を惹きつけていた。
付いて歩くことがなんだか申し訳ない気分にさせてくれる。

駅構内にあるコーヒーのチェーン店に入る。
夕方の時間だからなのか混雑していて、岡崎は千種に席を取っておくようにと言い置いて離れた。
千種は構内を見渡すことのできるカウンター席についた。忙しなく人が流れていく姿が見られる。
ついこの前まで、自分もこの流れに加わっていたのかと思うと、かつての自分を思い浮かべて虚しさが心に湧いた。
もう、こんな風に闊歩することもないのだろうか…。
しばらくすると、カップを両手に持って岡崎が寄ってくる。
千種にはキャラメル風味を、岡崎はドリップコーヒーを自分の前に置く。
千種の好みであることを覚えてくれていたらしい。甘い香りは疲れた心身を癒してくれる気がして好きだった。

右隣に座った岡崎が千種を覗きこむように見つめてくる。
「どれくらい待っていたんだ?こんなに冷えて…」
スッとさりげなく伸びてきた片手が不意に頬を包みこんだ。
ぬくもりが肌を通して伝わってきて、余計に岡崎の温かさを感じてしまった。
千種が俯いてしまうと、手が離れ岡崎から小さな吐息が漏れた。
「正直…、来てくれると思っていなかったんだ…」
千種は「え?」と下げた顔を上げた。
視界に入る表情は、珍しく自信がなさそうな、淋しげ、愁い、そして嬉しさを宿している。はにかんだ笑みも滅多に見ることのできないものだった。
「千種にとっては迷惑な話じゃないかと心配したんだ。できることならもう関わりたくないんじゃないかなって。俺の顔を見るのも本当はいやなんじゃないか…って」
岡崎は辞めた会社の上司である。しかも自分が原因となって異動にまでなった。
そばに置くことで過去をいつまでも引きずらせ、責任を押し付ける気分にさせないかと気を揉めていたらしい。
「強引に着いてこいって言うことはできた。俺がそれを言えば、千種は自分の意思とは関係なく従ってきただろう。だけどそんな風に追い込みたくもなかったんだ。卑怯だが千種に選択させることで、自分の中にあった気持ちを解決したかったのかもしれない」
フッと自嘲的な笑みを浮かべる。
手渡されたチケットには、千種だけでなく岡崎も賭けていたのだと改めて教えられた。
岡崎が嘘をつくとは思えない。
似たようなことは千種も考えていた。疑ってかかった点では千種のほうが酷いかもしれない。
卑怯なことをする人ではないと信じる反面で、失意のどん底まで落としたいのではないかと疑心暗鬼にかられた。
荷物を全て整理し、知らされた連絡先が無のものとなった時、千種は完全に路頭に迷うことになる。
たとえそうなっても、岡崎を責める気持ちは微塵も持たなかっただろうが…。

岡崎がカップに口をつける横顔を眺めながら、千種も両手でカップを包んだ。
この温かさは岡崎自身のような気がして、安堵から言葉が零れ落ちた。
包容力がある人物だとは入社してからの六年の付き合いで充分なほど承知していた。
心の声が音になったところで、岡崎は全てを受け止めてくれる度量の大きさを持っている。それを知るからこそ、千種はこの賭けに乗れたのかもしれない。
「俺も…、もしかしたら部長とはもう会えないのかも…と思っていました…」
「何故?」と尋ねるように首を傾げられる。
「こ…、こんなことになって、恨まれていると思っていたからです…。俺のせいで責任を負わされて、異動になって、俺がいなきゃ面倒事をふっかけられることもなかったのに…。だから期待だけさせて、いざとなったら…」
岡崎を一瞬でも疑ったのだと正直に言うには躊躇いが生じた。その続きを岡崎自身が繋ぐ。
「千種を叩きのめす為に最初から仕組んでいたんじゃないかと?」
尋ねられることに、うんとも何とも返事ができなかったが、岡崎は見透かしてしまったようだ。
大きな溜め息がこぼされて、機嫌を損ねてしまったのではないかという焦りに変わる。
岡崎はカップに唇を寄せて、もう一口、口に含んだ。

「そんなふうに思われても仕方がないよな…。こちらの方が恨まれているんじゃないかとも過った。俺は千種に対して、酷いことをしたと思っている」
酷い、の意味が分からずに今度は千種が首を傾げる番だった。
「千種を辞めさせたことだよ。そもそもこんな結果、俺は一つも納得していないんだ。ドタバタしていた中で気付いたら千種は退社していた。辞表が受理されて千種本人が出社しないんだ、話のつけようもない。大体、何故千種一人がこんな仕打ちに合わなきゃならない?全ての責任を千種に押し付けていることがおかしな話だろう」
「で、でも、元は俺が…」
「仕事でミスを犯さない人間が世の中に何人いるんだ?みんなどこかで何やら失敗をして、それを糧に成長するものだろう。今回、俺だって同じだ。皆を信用するあまり、きちんとしたチェックもしなかった。順を踏んで進んでいるんだからどこかで気付いていいはずなのに全員が最初の段階にある千種を信用していたんだよ。最悪は営業だな。自分で持って行く契約書の中身すら確認しなかった。最終確認は本人がするもののはずだ。それを…っ。挙句には無事、事を治めたと英雄気取りかっ」
あの後、社の人間がどう立ち振舞わっていたのかまでは千種の知るところではない。
ただ、唯一でも岡崎が千種のことを考えてくれていたと知って、胸の奥につかえていたものがドロドロと溶けだしていくようだった。
熱いものが込み上がってくる。
ぶわっと溢れるものによって視界が歪み、あっという間に頬を濡らした。
自分一人のせいだと思っていたものを覆してくれる優しさに、言いようのない嬉しさが混じった。
そう判断してくれたのが岡崎であったことが余計に胸を熱くする。
差し出されたハンカチを握りしめて瞼に押し当て、両肘をカウンターについて俯く。周りの人間に気付かれないように声を殺すのに必死になった。
肩を抱かれて、少しばかり傾けられる。
「千種が責任を感じることはない。もし俺に恨みを持って、それを晴らす為にここにいるのでもいい。付いてくる決断をしてくれたことに感謝するよ」
耳元で囁かれた言葉に、恨みなどあるわけもなく、首を横に振るしかなかった。
信じて良かった…と改めて思った。

「ぶちょ…」
「俺はもう千種の上司じゃないと言っただろう。上下関係抜きに、新しい道を進む者同士だ」
微かに漏れた呼びかけに、少し冗談を含めた口調が、甘く鼓膜に響く。

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あやつるものよ 4
2011-11-15-Tue  CATEGORY: あやつるものよ
コーヒーで冷えた体を温め、駅弁を買い込んで指定席に乗りこんだ。
自由席はそれなりに混雑が見られたが、指定席の車両は空席の方が目立つ。
寒い季節ではあまり飲みたいと思わないビールも、温かな車内では喉を潤すものとなってくれた。
千種の涙が治まると同時に、「もう過去の話はナシだ」と岡崎が仕事の話を切り上げた。
慣れ親しんだ性格を知るので話題に困ることもなかった。
職場を離れてアルコールを含めば、堅苦しい口調も崩れる。自然と受け入れてくれる岡崎の存在が、千種の心を更に解していった。
かつての上司と部下という存在を岡崎は好まない。
時折『部長』と呼び名が零れてしまうたびに、コツンと軽く額を叩かれる。
そんなやりとりすら、旅路の中では楽しいものに変わった。

住み慣れた地から離れた場所に着いたのは夜も遅くなってからだった。
駅までは歩いて1時間近くかかると、最寄駅からは少し離れた場所に岡崎が住むマンションがあるという。
駅前でタクシーに乗り込み住所を告げると、車はスムーズに動き出した。
都会とは違って車の流れが緩やかだ。車窓から見える賑やかだった光景もすぐに閑散とした薄暗い世界に変貌していった。
「こちらは公共機関もそれほど多くはないからな…。千種も何か『足』を持った方が移動が楽になるかもな」
今までの生活圏とは変わることをほのめかされる。
岡崎は先日こちらに車で訪れており、その時に車を置いて戻ったそうだ。
最後の片付けと、千種を迎えに出るため…、だったらしい。
かといって仕事を持たない今の千種には、車一台を買う出費も惜しいものがあった。
「とりあえず…、自転車…かな」
仕事も探さなければならない。
就職がそんなすぐに簡単にできるとは思っていないが、岡崎に全てを甘える気はなく(たとえ岡崎がどう言おうとだ)、この地で自分にできることを探したかった。
頑張っている岡崎の背中を追いかけたい意思は今でもある。
千種の答えに、「近所を散策するには手ごろだな」と笑って答えられた。

辿り着いたところは周りに戸建て、アパートなどの住居が点々と存在する静かな場所だった。
隣近所が近いところで暮らしていた千種にとっては怖いくらいの静けさが包む。
テレビで見たことのある風景が、生活する場所になったことをぼんやりと思う。
だが今は、この静けさが疲れた千種に心地良いものだった。
全てががらりと変わったことで、過去の自分を切り離せそうな気がした。
七階建てのマンションは築三年だという。しかし三年もの間、入居者はいなかったらしく、内装は新しいままだ。
オートロックの扉の開け方から逐一千種に教えながら岡崎は先に進む。エレベーターに乗り、五階の奥の方にある部屋へと千種はスーツケースを転がしながら大人しく付いていった。
ファミリー向けでもあるのか、意外と広い感覚で扉が続いている。
廊下から一歩奥まった左側に備えられた玄関を入り、岡崎の後から上がろうとして思わず「おじゃまします…」と声が漏れてしまうと、クククと岡崎が笑った。
「千種の家でもあるだろう。勝手に家具を置かせてもらったけれど、気に入らなきゃ勝手にいじっていいから」
そう言いながら岡崎は部屋の間取りを説明し始めた。
3LDKの広々としたものだ。
玄関からすぐにリビングダイニングに繋がる。そこを通った先に廊下があり、全室が南向きに並んだ個室があった。
反対側にトイレ、奥にバスルームが控えている。
「ひろっ!!」
1DKの狭いアパートに住んでいた千種からしてみたら、天国のような造りだった。
「こ、ここ、ここって家賃いくらするんですかっ?!」
思わず漏れたのはそんな台詞だった。
岡崎は明確な金額を言いはしなかったが、「向こうに比べれば格段に安いよ。なんだったら買っちまおうかって思ったな…」と苦笑いを浮かべた。
家賃を払うのとローンを払うのは違った考えなのだろう。
どちらにせよ、半額は入れたい千種だ。岡崎が答えないなら不動産屋に聞くしかない。それが支払えないような高額でないことを祈るだけだが、同時に岡崎の収入の高さを見せられた気分だった。

段ボール箱があちらこちらに点在しているが、大きな家具はすでに配置されており、以前来たと言った岡崎がある程度片しておいたものなのだろう。
廊下は途中に物置があったために折れ曲がっていて、一番奥の部屋の出入り口は直接見ることができない。
そこに千種を案内した。
中には岡崎が運んだものと思われるベッドや机などが大雑把に置かれていた。空っぽだった手前の部屋よりいくらか広い。
「千種がこっちが良いって言うなら変わるから。とりあえず置き場がなくてここに入れただけでさ。向こうのふたつ、千種が好きに使っていいよ」
千種はぶんぶんと首を横に振るだけだ。20畳に近いリビングダイニングがあれば一部屋だけだって持て余しそうなくらいだ。二部屋も必要になるわけがない。
「俺、一番狭いところでいいですからっ」
「何言ってんの。…ところで千種の荷物、いつ届く?」
あくまでも同居人だという姿勢で岡崎は臨んでくる。問われて、その時になって、千種は「あ…」と小さな声を上げ、いたたまれず俯いた。
「?」
「あ、…俺、…全部処分してきちゃって…。だから…、あれだけ、なんです…」
リビングに置きっぱなしにして、今では見えないスーツケースの存在を追いかけるように、そっと視線が向く。
千種の返事に、穏やかだった岡崎の全身が固まった気がした。
「処分…って…。でも千種、俺が来ないかもって思っていたんだろう?」
そう…。岡崎の言うとおりだ。最悪の場合、自分は身一つでどこに向かおうとしていたのだろう。
スッと伸びてきた腕がある。
サラサラの髪がかきあげられ、視界が明るくなった。
「会えて良かったよ…」
紛れもない岡崎の本音が響き、「明日、まだ休みをとってあるから、必要なものを買いに行こう」と誘われた。
荷物を送ってもいいのか、信用してもいいのか、迷惑がられないかと散々に葛藤した。
最終的に辿り着いた答えは、身一つであればどこででもどうにかなるだろうという開き直り。
こうして温かな空気に触れられたことを、一つの奇跡のように噛みしめる。
寒い心を抱えて眠らなくて済んだこと。また涙が溢れそうになって、千種はぐっと堪えた。

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あやつるものよ 5
2011-11-16-Wed  CATEGORY: あやつるものよ
広々とした風呂で移動の疲れを癒した後、リビングに戻ると、すでに寛いでいた岡崎がソファに腰掛けて日本酒の入ったグラスを傾けていた。
パジャマ代わりだというグレーのスエットの上下を身に纏い、オットマンに足を投げ出している。
リビングには引っ越し業者が運んだという状態で、それなりに家具が揃っていた。自分だけならこのままでも充分に暮らしていける設備だ。
ダイニングにも丸いテーブルがある。大型の家具が片付いているために、あとは段ボール箱に入った小物類を片付ければいいだけだった。
「千種も飲む?」
「日本酒?あまり飲み慣れないんだけど…」
「こっちでは有名な酒蔵のものだよ」
酒好きな岡崎はそのようなことにも詳しいらしい。
地元産と聞けば手を出したくなるのは性格なのだろうか…。
「その辺にグラスがある」という、適当な答えに苦笑しながら、全く動く気のない岡崎を感じて千種は備品をあさる。
人に対して鷹揚に構える様があった外面と同じように、家の中でも堅苦しさを見せない。
だからこそ千種も普段通りの行動が取ることができた。
ソファの前にあるガラスのテーブルにグラスを置くと、ラグの上にペタンと座りこむ。テーブルを挟んだ向かいで身を起こした岡崎が一升瓶から注いでくれた。
「せっかくの酒だもんな~。明日、こういうのも買いにいくか」
岡崎はグラスに視線を這わせる。
千種自身、食器類に頓着する性格ではない。インスタントラーメンを鍋のままで食べたことがあるくらいだ。
岡崎がこだわっていくならそれに倣うのもいいかも…と意識を変えた。
鍋で食べるラーメンより、器によそったラーメンのほうが格段に美味しく見えるものである。
どんな料理も酒も同じようなものだろう。

「部長、この辺りに何があるのかもう見てあるんですか?」
「またそう呼ぶ…。吉良(きら)でいいって言ってるのに」
手が伸びてくる距離ではなかったから小突かれることはなかったが、明らかに不機嫌な表情を見せる。
とはいえ、かつての呼び名はそう簡単に変えられるものではなかった。
「あ…。…慣れるようにします…」
ペコリと頭を下げると不機嫌な表情もすぐに消えてくれる。岡崎も急激な変化に対応できないことくらい承知しているのだ。
ただ口うるさく言うことで意識させようとしているだけ。
「あぁ。ちょっと離れたところにでっかいショッピングモールがあるよ。あの一角で何でも揃う」
「へぇぇ」
「全部見て回るには一日じゃ足りないだろう」
「そんなに広いんですか?」
「どっかのテーマパーク並みだよ。必要なものを書き出しておけよ。目的のものをまずは買わないとだからな」
頷きながら、生活に必要なものがなんであるのかを頭の中に思い浮かべる。
ほとんどのものは岡崎がここに用意しているだけに、これといって必要と思われるものは思い浮かばなかった。
衣類を整理するためのケースと自転車くらいだろうか…。
「あ…」
ふと過ったことにポロッと声が漏れると即座に岡崎が反応してくる。
「何?車に詰めなきゃ配達してくれるぞ。指定時間に家にいられるだろう」
「そ、そうじゃなくて…。あの…、毛布の一枚、とか余ってます…?」
明日以降の何よりも、身近にある問題に気付いた。
千種には寝る場所がない。
身一つでやってきたのも同然。スーツケースにぎゅうぎゅうに詰め込んであるのは少ない衣類と歯ブラシなどの身近な生活用品だけだ。
そのことを理解したように岡崎はクスリと笑みを浮かべた。
無謀な行動に出たことを笑われているようでもある。
「ない」
続いて出てきた返事は無情なもので…。それでありながら楽しげな返しだった。
「あー…」
とりあえず今夜は厚着するなり何なりして一夜を過ごすしかないだろう。野宿することにならなかっただけでも救いものだ。
項垂れた千種に、からかいを含めた口調で岡崎が口を開く。
千種の考えていたこともすでに見透かされていたようだ。
「今夜は俺の隣に泊めてやるよ。明日の朝、凍死した死体とご対面じゃ嫌だからな」
一番奥の部屋にあったベッドはダブルサイズくらいはあっただろう。
体格の良い岡崎にとって安眠を取る為にはそれくらいの大きさがほしいのか。
そこで一緒に寝ればいいという誘いに、ありがたく頷きそうになって、慌てて現実問題を考えた。

…い、いきなり、ベッドインですか……?!

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