得意先からの理不尽な要求は今に始まったことではなく、何の利益も生みださないような小さな顧客からのクレームなどに比べれば、安住の申し出はケタが違いすぎた。
中條の言うように、安住の機嫌を取ればことがうまく運ぶと示唆されれば、その方向に動かざるを得ない。
大手との取引を始められると思えば高揚する気持ちになりそうなものだが、今の那智には素直に喜ぶことができなかった。
家にとぼとぼと辿り着いて、ソファに力なく座り込む。
夜は20時を回っていたが、とりあえず話を聞いた以上、一言くらい挨拶を入れるべきなのだろう。
そう思って、昼間もらった名刺の電話番号をたどる。
こんな時間に電話をするのは失礼ではないかと一瞬頭をよぎったものの、明日に持ち越すのもどうかと通話ボタンは押された。
幾度かのコールが響いたのち、今日聞いた安住の柔らかな声が那智を迎えた。
『はい、安住法律事務所です』
「あの、金谷建機の桜庭と申しますが…」
『ああ、さくらちゃん?どうかしましたか?こんな時間に』
中條に吹き込まれたのだろうか。上司同様に『さくらちゃん』と気軽に声をかけられれば、緊張していた気分が緩んだ。
昼間、話をしていた時と同じく、人を安らかにするような声音は心地よかった。
「あ、えと、あの…」
気軽に話しかけられたことに拍子抜けしたのもあるが、続ける言葉を忘れた那智は詰まった。
なかなか言葉を継げないでる那智を不審に思ったのか、安住の心配そうな声が聞こえた。
『どうしました?何かお話でも?』
「あ、あの…。榛名建設の件を聞いて…。お礼のお電話をと思いまして…」
到底営業マンらしくない、たどたどしい言葉がこぼれた。入社一ヶ月目の新人じゃあるまいし、と自分の不甲斐なさに呆れる。
『榛名建設?…ああ、中條に話した件ですか? でもどうしてさくらちゃんからお礼の電話なんですか?』
安住から不思議そうに尋ねられれば、話のつながりが見えなくなった那智は戸惑った。
その口ぶりは、那智は関係ないと言われているようだった。
「え、だって、取引するにあたって、接待に出るのが絶対条件って…」
『接待?!どういうこと?…中條はさくらちゃんに何を言ったの?』
先ほどまでの柔らかで丁寧な口調が突然崩れて、問い詰められるようなものへと変わった。その驚かれ方に、自分は何かまずいことを言ってしまったのかと不安が襲う。
困惑した那智は二の句がつげなかった。
「…、」
『さくらちゃん? 中條に榛名建設の紹介の話はしたけど、接待なんて一言も言ってないよ。あいつは、さくらちゃんに何をどう吹き込んだわけ?』
黙ってしまった那智をなだめるように静かに説明をしながらも、言葉の最後にはため息が混じっていた。
「あ、あの…、…」
今日、中條に聞いた内容を、安住に話してしまってもよいものだろうか。中條と安住の会話など聞いたわけでもなく、中條に告げられたことだけを真実と思いこんでいた那智には、安住の説明をどう取っていいのか分からなくなっていた。
再び黙ってしまった那智に、安住は静かに伝えた。
『さくらちゃん。こんなに訳の分からない状態になっては、これ以上中條に話を進めるわけにはいかなくなるよ。さくらちゃんの口から、榛名建設の件をどう聞かされたのか話してごらん』
小さな子供を諭すかのような、穏やかな声が那智の耳に響いた。
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中條の言うように、安住の機嫌を取ればことがうまく運ぶと示唆されれば、その方向に動かざるを得ない。
大手との取引を始められると思えば高揚する気持ちになりそうなものだが、今の那智には素直に喜ぶことができなかった。
家にとぼとぼと辿り着いて、ソファに力なく座り込む。
夜は20時を回っていたが、とりあえず話を聞いた以上、一言くらい挨拶を入れるべきなのだろう。
そう思って、昼間もらった名刺の電話番号をたどる。
こんな時間に電話をするのは失礼ではないかと一瞬頭をよぎったものの、明日に持ち越すのもどうかと通話ボタンは押された。
幾度かのコールが響いたのち、今日聞いた安住の柔らかな声が那智を迎えた。
『はい、安住法律事務所です』
「あの、金谷建機の桜庭と申しますが…」
『ああ、さくらちゃん?どうかしましたか?こんな時間に』
中條に吹き込まれたのだろうか。上司同様に『さくらちゃん』と気軽に声をかけられれば、緊張していた気分が緩んだ。
昼間、話をしていた時と同じく、人を安らかにするような声音は心地よかった。
「あ、えと、あの…」
気軽に話しかけられたことに拍子抜けしたのもあるが、続ける言葉を忘れた那智は詰まった。
なかなか言葉を継げないでる那智を不審に思ったのか、安住の心配そうな声が聞こえた。
『どうしました?何かお話でも?』
「あ、あの…。榛名建設の件を聞いて…。お礼のお電話をと思いまして…」
到底営業マンらしくない、たどたどしい言葉がこぼれた。入社一ヶ月目の新人じゃあるまいし、と自分の不甲斐なさに呆れる。
『榛名建設?…ああ、中條に話した件ですか? でもどうしてさくらちゃんからお礼の電話なんですか?』
安住から不思議そうに尋ねられれば、話のつながりが見えなくなった那智は戸惑った。
その口ぶりは、那智は関係ないと言われているようだった。
「え、だって、取引するにあたって、接待に出るのが絶対条件って…」
『接待?!どういうこと?…中條はさくらちゃんに何を言ったの?』
先ほどまでの柔らかで丁寧な口調が突然崩れて、問い詰められるようなものへと変わった。その驚かれ方に、自分は何かまずいことを言ってしまったのかと不安が襲う。
困惑した那智は二の句がつげなかった。
「…、」
『さくらちゃん? 中條に榛名建設の紹介の話はしたけど、接待なんて一言も言ってないよ。あいつは、さくらちゃんに何をどう吹き込んだわけ?』
黙ってしまった那智をなだめるように静かに説明をしながらも、言葉の最後にはため息が混じっていた。
「あ、あの…、…」
今日、中條に聞いた内容を、安住に話してしまってもよいものだろうか。中條と安住の会話など聞いたわけでもなく、中條に告げられたことだけを真実と思いこんでいた那智には、安住の説明をどう取っていいのか分からなくなっていた。
再び黙ってしまった那智に、安住は静かに伝えた。
『さくらちゃん。こんなに訳の分からない状態になっては、これ以上中條に話を進めるわけにはいかなくなるよ。さくらちゃんの口から、榛名建設の件をどう聞かされたのか話してごらん』
小さな子供を諭すかのような、穏やかな声が那智の耳に響いた。
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