和紀の胸に顔を押し付けられたままで、どれくらいの時間が経っただろうか。
聞こえてくる人の喧騒は、同じ船から降りた人々のものだ。多国籍の人間が多く存在する。
クルーズ船に、どれだけの人間が乗っていたのか…ということでもあったが。
和紀は、『世界を巡るツアー』の中の一部だけを乗船していた。だから自分たちはたったの三泊四日なのだが、他の乗客は一年近くをかけてゆったりと航海する。
数多くの島々が連なるこの地は、ある意味で『滞在型』だったようだ。
もちろん、寄港地から寄港地だけのクルーズもあるようで、最初から最後まで乗りこんでいる必要はない。
船と一部の乗客だけが、地球を一周しているとでもいうのか。
和紀の腕の力が緩んで、日生は顔を上げた。周りを見渡せば、肌の色も違う人々が、自分たちと同じように寄港地を愉しもうという雰囲気で包まれている。
自分が一瞬でも気を取られた人はそこにはいない。
自分たちと同じ国の出身だと思われる人はチラホラと見受けられたから、日生も和紀も見間違えたのだろうと思われた。
「ひな、島内を散策してこようか」
この島に滞在する時間は僅か一日だけで、夜にはまた移動して同じようにあと二島に立ち寄って、日生たちが泊まるホテルの本島に戻っていく。
船に戻ろうとせず、島内に残ろうとするのも、あの男の存在がないからだと分かる。
良く似た人は世の中に何人かいると聞いたことがある。
きっと、"周防"もその一人だろう。
そう思えたら気にしていた自分に気付かされる。
あんな話を聞いてしまったからだろうか。和紀が全てで、和紀の言うことを信じようと決めたばかりだったのに、と自分を叱咤した。
避けてくれたのは和紀であり、周防であり、奈義で…。
目に見えた世界にいない男は、きっと周防と奈義が天から退けてくれた結果だろう。
…日生は和紀との人生を楽しんで幸せに過ごしていけばいい…。
言い聞かされているようだ。
坂道になる通りを、小さな商店が並んでいる。
貝殻で作られたアクセサリーや、近海で獲れた魚料理を出すレストランや、フルーツをふんだんに使った洋菓子店やジェラート店など。
それらをひやかしながら、また買ったりして登頂…というのだろうか。港町が見渡せる場所まで昇りきった。
何やら騒がしい箇所があって、近づいてみれば、展望台となった場所の突き出したところに、鐘がある。
それぞれ、愛する人と共になのか、一本の紐をふたりで握って鳴らしている光景が、誰からも祝福されているように見えた。
和紀が「俺たちも鳴らしてこよう」と日生の背中を押す。
みんなの前で…というのは日生に少々の抵抗を思わせたが、先日の結婚式が、牧師だけに見守られたものであったのに対して、こちらは大勢の人がいるだけに、和紀とのことを許された気分になれた。
改めて人からの祝福を受ける幸せ。
日生の薬指に嵌められた指輪が一層の輝きを放つ。
おまけに和紀がその場でキスなどしてくれたから歓声は一際大きくなった。
ここには他にも『新婚旅行』で来ている人も大勢いるのだろう。
恵まれた環境。愛して愛される人と共にいられる奇跡。
日生はまた感慨深く涙を浮かばせてしまえば、和紀が唇で掬ってくれた。
あっという間に一日が終わろうとしている。
散策時間は長いとは言えなかったが、島を巡るのには充分な時間だった。
また船に乗り込んで、豪華なディナーとショーを満喫した。
『贅沢』な時間だと思うのに、それらが当たり前になっていく日々。
周防に出会えたことも、和紀と巡り合わせてくれたことにも心底喜びが湧き起こる。
船の中から見た夕焼けも、日生は生涯忘れない出来事になるだろうと胸に刻んだ。
新年の初日の出を見たのは、二人きりのヴィラ内でだった。
水平線から徐々に浮かび上がり、神々しい明かりが地上を照らしていく。
ベッドの中で、生まれたままの姿で、また日生は生まれ変わるのかもしれないと漠然と思っては、隣にいる和紀にしっかりと抱きついた。
『ひなは三隅家の子だよ』
その言葉を胸に、新たな人生を歩み出す。
少しばかり気にかけてしまった昔は、もう二度と思い出すことはないはずだ。なぜなら、誰よりも幸せだと思える時が、『今』あるのだから。
決して和紀を苦しめることはしない。そのためにも。
優雅な時を過ごし、のんびりと日常を忘れて、休暇は幕を閉じる。
帰国して、お土産を持って清音のもとを訪れれば、すぐにでも指輪の存在に気付いてくれた清音から「おめでとうございます」と涙ぐまれた。
ただの家政婦だけではない、母親としても見守ってくれた清音にも見せてあげたかったと振り返っても、きっと清音は持ち前の謙虚さから、邪魔をしなくて良かった、くらいに思っていることだろう。
これからもずっと、ずっと自分たちを大事にしてくれる人はここにもいる。
和紀も日生も、周防に似た人がいた、とは口にしなかった。
もしかしたら、幻を見たのかもしれないと感じたのは、滞在中、彼に出会うことはなかったから。
あの後、出発の前にもう一度名残惜しげに教会を訪れたが、誰も出てこなかったのだ。
まるで、ふたりの行く末を心配した周防が降臨して確かめたかのごとく…。
伝えたら、清音は会いたがるだろうか。
それもまた、それぞれの心に残された『思い出』を上書きするようで、怖いのかも。
愛する気持ちは、個人が持てばいいだけのこと。
同じように隣の弁護士事務所に出向いて、留守中のことをうかがった。
会社関係は緊急事態が起これば休暇中に関わらず和紀に連絡が入るが、それもなかったとは、順風満帆な日々だったことだろう。それはこちらも同じ。
三良坂が応接室となったリビングで、何の迷いもなく煙草に火をつければ、哲多がお茶を置いたトレーで思いっきり後頭部を叩いていた。
懐かしい光景に和紀と顔を見合わせてはクスクスと笑ってしまう。
その姿を見られて呆れも含んだ表情で「おまえらはいいよなぁ…」と三良坂がボソッと呟くから、また微笑ましくなってしまう。
みんながいる…。
日生は、もう恐怖に脅える日が来ない幸福感を深く味わいながら、過去に、静かに幕を下ろした。
―完―
にほんブログ村
ポチっとしていただけると嬉しいです(〃▽〃)
年末企画として出しておきながら、ここで終わってしまいました…。
早くに始めるとこんな結果になるのですね…。
最後、思わせぶりなことを書いてしまいしまたが、実親を出すことはできませんでした。
そこが英人とは違ったところかな。
日生には周防がいたから、他は必要ないでしょう。
何故出したかといえば、心に巣食いかけたものを排除するためであったのです。
改めて現実にはいないと知ることで、きにかけることはないと。
話を聞いて、思い出さないつもりでも、どこかで引っかかっていたものがあったのかな。
すっきり、すっぱり、流してくれたことと思います。
さて、貼ってあるアンケートどうしましょうか。
とりあえず、締め切りまで待って、今後対策を考えるか…(←)
お付き合いありがとうございました。
聞こえてくる人の喧騒は、同じ船から降りた人々のものだ。多国籍の人間が多く存在する。
クルーズ船に、どれだけの人間が乗っていたのか…ということでもあったが。
和紀は、『世界を巡るツアー』の中の一部だけを乗船していた。だから自分たちはたったの三泊四日なのだが、他の乗客は一年近くをかけてゆったりと航海する。
数多くの島々が連なるこの地は、ある意味で『滞在型』だったようだ。
もちろん、寄港地から寄港地だけのクルーズもあるようで、最初から最後まで乗りこんでいる必要はない。
船と一部の乗客だけが、地球を一周しているとでもいうのか。
和紀の腕の力が緩んで、日生は顔を上げた。周りを見渡せば、肌の色も違う人々が、自分たちと同じように寄港地を愉しもうという雰囲気で包まれている。
自分が一瞬でも気を取られた人はそこにはいない。
自分たちと同じ国の出身だと思われる人はチラホラと見受けられたから、日生も和紀も見間違えたのだろうと思われた。
「ひな、島内を散策してこようか」
この島に滞在する時間は僅か一日だけで、夜にはまた移動して同じようにあと二島に立ち寄って、日生たちが泊まるホテルの本島に戻っていく。
船に戻ろうとせず、島内に残ろうとするのも、あの男の存在がないからだと分かる。
良く似た人は世の中に何人かいると聞いたことがある。
きっと、"周防"もその一人だろう。
そう思えたら気にしていた自分に気付かされる。
あんな話を聞いてしまったからだろうか。和紀が全てで、和紀の言うことを信じようと決めたばかりだったのに、と自分を叱咤した。
避けてくれたのは和紀であり、周防であり、奈義で…。
目に見えた世界にいない男は、きっと周防と奈義が天から退けてくれた結果だろう。
…日生は和紀との人生を楽しんで幸せに過ごしていけばいい…。
言い聞かされているようだ。
坂道になる通りを、小さな商店が並んでいる。
貝殻で作られたアクセサリーや、近海で獲れた魚料理を出すレストランや、フルーツをふんだんに使った洋菓子店やジェラート店など。
それらをひやかしながら、また買ったりして登頂…というのだろうか。港町が見渡せる場所まで昇りきった。
何やら騒がしい箇所があって、近づいてみれば、展望台となった場所の突き出したところに、鐘がある。
それぞれ、愛する人と共になのか、一本の紐をふたりで握って鳴らしている光景が、誰からも祝福されているように見えた。
和紀が「俺たちも鳴らしてこよう」と日生の背中を押す。
みんなの前で…というのは日生に少々の抵抗を思わせたが、先日の結婚式が、牧師だけに見守られたものであったのに対して、こちらは大勢の人がいるだけに、和紀とのことを許された気分になれた。
改めて人からの祝福を受ける幸せ。
日生の薬指に嵌められた指輪が一層の輝きを放つ。
おまけに和紀がその場でキスなどしてくれたから歓声は一際大きくなった。
ここには他にも『新婚旅行』で来ている人も大勢いるのだろう。
恵まれた環境。愛して愛される人と共にいられる奇跡。
日生はまた感慨深く涙を浮かばせてしまえば、和紀が唇で掬ってくれた。
あっという間に一日が終わろうとしている。
散策時間は長いとは言えなかったが、島を巡るのには充分な時間だった。
また船に乗り込んで、豪華なディナーとショーを満喫した。
『贅沢』な時間だと思うのに、それらが当たり前になっていく日々。
周防に出会えたことも、和紀と巡り合わせてくれたことにも心底喜びが湧き起こる。
船の中から見た夕焼けも、日生は生涯忘れない出来事になるだろうと胸に刻んだ。
新年の初日の出を見たのは、二人きりのヴィラ内でだった。
水平線から徐々に浮かび上がり、神々しい明かりが地上を照らしていく。
ベッドの中で、生まれたままの姿で、また日生は生まれ変わるのかもしれないと漠然と思っては、隣にいる和紀にしっかりと抱きついた。
『ひなは三隅家の子だよ』
その言葉を胸に、新たな人生を歩み出す。
少しばかり気にかけてしまった昔は、もう二度と思い出すことはないはずだ。なぜなら、誰よりも幸せだと思える時が、『今』あるのだから。
決して和紀を苦しめることはしない。そのためにも。
優雅な時を過ごし、のんびりと日常を忘れて、休暇は幕を閉じる。
帰国して、お土産を持って清音のもとを訪れれば、すぐにでも指輪の存在に気付いてくれた清音から「おめでとうございます」と涙ぐまれた。
ただの家政婦だけではない、母親としても見守ってくれた清音にも見せてあげたかったと振り返っても、きっと清音は持ち前の謙虚さから、邪魔をしなくて良かった、くらいに思っていることだろう。
これからもずっと、ずっと自分たちを大事にしてくれる人はここにもいる。
和紀も日生も、周防に似た人がいた、とは口にしなかった。
もしかしたら、幻を見たのかもしれないと感じたのは、滞在中、彼に出会うことはなかったから。
あの後、出発の前にもう一度名残惜しげに教会を訪れたが、誰も出てこなかったのだ。
まるで、ふたりの行く末を心配した周防が降臨して確かめたかのごとく…。
伝えたら、清音は会いたがるだろうか。
それもまた、それぞれの心に残された『思い出』を上書きするようで、怖いのかも。
愛する気持ちは、個人が持てばいいだけのこと。
同じように隣の弁護士事務所に出向いて、留守中のことをうかがった。
会社関係は緊急事態が起これば休暇中に関わらず和紀に連絡が入るが、それもなかったとは、順風満帆な日々だったことだろう。それはこちらも同じ。
三良坂が応接室となったリビングで、何の迷いもなく煙草に火をつければ、哲多がお茶を置いたトレーで思いっきり後頭部を叩いていた。
懐かしい光景に和紀と顔を見合わせてはクスクスと笑ってしまう。
その姿を見られて呆れも含んだ表情で「おまえらはいいよなぁ…」と三良坂がボソッと呟くから、また微笑ましくなってしまう。
みんながいる…。
日生は、もう恐怖に脅える日が来ない幸福感を深く味わいながら、過去に、静かに幕を下ろした。
―完―
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ポチっとしていただけると嬉しいです(〃▽〃)
年末企画として出しておきながら、ここで終わってしまいました…。
早くに始めるとこんな結果になるのですね…。
最後、思わせぶりなことを書いてしまいしまたが、実親を出すことはできませんでした。
そこが英人とは違ったところかな。
日生には周防がいたから、他は必要ないでしょう。
何故出したかといえば、心に巣食いかけたものを排除するためであったのです。
改めて現実にはいないと知ることで、きにかけることはないと。
話を聞いて、思い出さないつもりでも、どこかで引っかかっていたものがあったのかな。
すっきり、すっぱり、流してくれたことと思います。
さて、貼ってあるアンケートどうしましょうか。
とりあえず、締め切りまで待って、今後対策を考えるか…(←)
お付き合いありがとうございました。
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こんばんは。
> お疲れ様です きえちんの暖かい思いが感じます
なんとか完結まで持っていくことができました。
今更過去をひっくり返したくないのは誰もが同じ考えだと思うので こんな終わり方になりました。
変に引っ張ったくせにね…。
旅行はしっかり満喫してきましたよ~。
また後日、旅日記でも別宅でupしたいと思います。
コメントありがとうございました。
> お疲れ様です きえちんの暖かい思いが感じます
なんとか完結まで持っていくことができました。
今更過去をひっくり返したくないのは誰もが同じ考えだと思うので こんな終わり方になりました。
変に引っ張ったくせにね…。
旅行はしっかり満喫してきましたよ~。
また後日、旅日記でも別宅でupしたいと思います。
コメントありがとうございました。
おはようございます。
> お疲れ様でしたm(__)m ひなちゃんの幸せのひとコマ楽しかったです♪わっ君のアマアマぶりも(笑)
日生は今まで以上に幸せ感満載で暮らしていくことでしょう。
和紀が甘いのはもう仕方がないというか…(笑)
可愛くて可愛くてしょうがないんでしょうね。
和紀のなかではいつまでたっても、もらわれてきた時のままの、まだ何も知らない無垢な日生のままなのでしょうから。
光源氏となった和紀は、そらぁもう、三良坂にしてみたら「いいよなぁ…」かもしれませんね(笑)
コメントありがとうございました。
> お疲れ様でしたm(__)m ひなちゃんの幸せのひとコマ楽しかったです♪わっ君のアマアマぶりも(笑)
日生は今まで以上に幸せ感満載で暮らしていくことでしょう。
和紀が甘いのはもう仕方がないというか…(笑)
可愛くて可愛くてしょうがないんでしょうね。
和紀のなかではいつまでたっても、もらわれてきた時のままの、まだ何も知らない無垢な日生のままなのでしょうから。
光源氏となった和紀は、そらぁもう、三良坂にしてみたら「いいよなぁ…」かもしれませんね(笑)
コメントありがとうございました。
病いの中のきえちんは、どんな思いで書いたのでしょうね。
今年に入って 稀に見る忙しさで 心も体も病みそうに 已みそうになっている私です。
こんな状況が続くと、何か楽しい事ないかなぁ~と!
きえちん、そちらでは 楽しく幸せに過ごせてますか?
花見もした?
私も混ぜてほしかったよ♪傘傘傘 (*´・▽)o―●○◎- ゚+.花見゚+. ▽o(・ω・`*) 傘傘傘...byebye☆
今年に入って 稀に見る忙しさで 心も体も病みそうに 已みそうになっている私です。
こんな状況が続くと、何か楽しい事ないかなぁ~と!
きえちん、そちらでは 楽しく幸せに過ごせてますか?
花見もした?
私も混ぜてほしかったよ♪傘傘傘 (*´・▽)o―●○◎- ゚+.花見゚+. ▽o(・ω・`*) 傘傘傘...byebye☆
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