あれほど酷いことをされたというのに、立川の時のように嫌悪感も浮かばなければ鳥肌も立たなかった。それどころか先程感じてしまった指の動きを思い出してしまったくらいだった。
慌てて脳裏から消そうとする隙に浴衣の手直しをされた。浴衣はわざと前を広げないようにして直されているようだった。一度体を見られているとはいっても抵抗はあったし、それに背後には立川もいる。立川がじっとりとした視線で英人を見ているようで、ここで帯を解かれても恥ずかしさにその存在を振り返ることすら躊躇われた。
英人が恥ずかしそうに頬を染め俯き続けるのも千城の父は全く気にしていないようだった。
立川は千城の父が酷く怒っていると言っていたし、思い起こす体験は屈辱でしかない。それなのにこの瞬間だけはそんな姿は微塵も感じないような気がした。
英人を抱きこむようにして帯を回す腕や締め具合を確かめるような指の動きに高鳴る心臓の音を聞かれたくなかった。
英人ではとてもできそうにない、蝶結びではなく折り込まれるような帯の結い方をしてから、千城の父は立川を促した。
「聖ももう帰りなさい。弥生(やよい)がまだ話し終えないようであれば促してやろう」
「まだいいよ。母さんだって百合子さんとたまには話したいんでしょ」
「毎日来ていることを『たまに』とは言わないんだよ」
「俺も明日ここに来ていい?」
「駄目だ」
立川の願いはピシャリと封じられた。
『ここ』とはこの敷地内ではなく、この部屋のことだと英人でも理解できる。
この時になって、たぶん千城の父は英人をこの男に見せる気もなかったのだと思った。
立川の強引さなどを考慮すれば、勝手に入り込んでしまったのではないだろうか。英人がこの屋敷に来たことは使用人を介すれば簡単に耳に入ることであろう。それに興味を引かれたのだとなんとなく想像ができる。
そんな勝手な行動を叱るわけでもなかったが、千城の父は英人と会うことだけは許さないといった態度だった。
その場では立川もこれ以上のことを言うこともなくすんなりと引き下がっていった。
英人は奥の寝室を使って休むよう言葉を残され、千城の父と共に立川もこの部屋を出て行った。
ふと時計を見ると夜中の12時になりそうな時刻だった。
千城はもう地に足をつけたのだろうか…。
とてもベッドになど入れず、毛布だけを引きずり出した英人は居間の隅でうずくまった。
千城の声を聞かない日は久し振りのような気がした。携帯電話はどこにいってしまったのだろう。鳴らし続けても応答がなければ心配されるのではないだろうか。それとももう千城の父が対応してしまっているのだろうか。英人は誰にでも欲望を表す卑しい身分なのだと報告されているのだろうか。千城には相応しくない常識知らずと改めて伝えられているのだろうか。
明日仕事にいけなかったら神戸は何と思うのだろう。もう仕事もできない気がしてきた。残されたのは体を売る仕事のみのような堕ち潰れた人間像が頭を過る。
不安は尽きることがなかった。
いつの間に眠ってしまったのか、畳の間を近寄ってくる足元で目が覚めた。
「こんなところで寝るなど…」
寝ぼけた頭はまだはっきりと声の主を確認していない。
一晩中淋しさに打ちひしがれていた英人は、声を聞いた途端に弾かれるものがあった。
「ちしろ…?」
ふいに眩しい光が入ってくる。
ぱぁっと雨戸が開け放たれ、広い硝子戸の間口から太陽光が差し込んだ。
「うっ」
突然の眩しさに目も開けられず、毛布の中に潜り込んだ英人を、声をかけた人間は呆れたような溜め息をついて見下ろしているようだった。
「朝食の準備をさせる。着替えを用意しておくから準備ができたら呼びなさい。受話器を取れば自動的に執務室に繋がる」
まだ寝ぼけた頭は言葉をなんとか理解しようとしているところだった。
ようやく思考が回り出す。ここがどこで、この相手が誰で、これからどうなるのかという不安を知った。
恐る恐る毛布をめくり上げてみれば、三つ揃えのスーツをキッチリと着こなしている千城の父が立ったまま英人を見下ろしていた。鋭い眼光は英人を射竦めるようで、千城と重なるようであまり見ていたくない。
「千城は明日戻るそうだ。君がこの本邸にいることも伝えてある。私があの子を勘当すると伝えたのが功を奏したのかな。声色を変えていたよ。当家の名を失うことがどれほどの損害になるのか理解したのだろう」
寝ぼけていた頭は完全に覚醒した。
英人を傍に置くことは千城の首を絞めることにしかならない。
千城の父の言葉を聞けば、千城は英人を捨てると判断したようでもあった。
信じたくないと思いながら、穢れた体を思い出せば千城に見捨てられても仕方のないような気がしてくる。
英人は体中が震え出すのを止められなかった。
呪った…。これまで過ごした卑しくて貧しい身分を心の底から呪った。
たった一人の人に愛される体になれると分かっていたのなら、あんなふうに簡単にどこの男にだって足を開くことはなかった…!!男娼まがいの人生を送り、誰にでも感じてしまう卑しい体になどなりはしなかった…!
それを見られたことがとにかく悔しい。過ごした人生が悔しくてたまらない。
千城はもう二度と自分を愛してなどくれない…。
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また明かされない聖君の存在…(――〆) つまりはどうでもいいっていうことで…(ええぇぇっ???)
また欄外記述でお許しを…(書けない埋め合わせがここで…)。聖は千城の従弟になります。榛名パパの妹が弥生でお嫁に行って『立川』になり、パパの妻が百合子です。榛名パパにしてみれば千城と同じように可愛がった甥っ子ってところでしょうか。
慌てて脳裏から消そうとする隙に浴衣の手直しをされた。浴衣はわざと前を広げないようにして直されているようだった。一度体を見られているとはいっても抵抗はあったし、それに背後には立川もいる。立川がじっとりとした視線で英人を見ているようで、ここで帯を解かれても恥ずかしさにその存在を振り返ることすら躊躇われた。
英人が恥ずかしそうに頬を染め俯き続けるのも千城の父は全く気にしていないようだった。
立川は千城の父が酷く怒っていると言っていたし、思い起こす体験は屈辱でしかない。それなのにこの瞬間だけはそんな姿は微塵も感じないような気がした。
英人を抱きこむようにして帯を回す腕や締め具合を確かめるような指の動きに高鳴る心臓の音を聞かれたくなかった。
英人ではとてもできそうにない、蝶結びではなく折り込まれるような帯の結い方をしてから、千城の父は立川を促した。
「聖ももう帰りなさい。弥生(やよい)がまだ話し終えないようであれば促してやろう」
「まだいいよ。母さんだって百合子さんとたまには話したいんでしょ」
「毎日来ていることを『たまに』とは言わないんだよ」
「俺も明日ここに来ていい?」
「駄目だ」
立川の願いはピシャリと封じられた。
『ここ』とはこの敷地内ではなく、この部屋のことだと英人でも理解できる。
この時になって、たぶん千城の父は英人をこの男に見せる気もなかったのだと思った。
立川の強引さなどを考慮すれば、勝手に入り込んでしまったのではないだろうか。英人がこの屋敷に来たことは使用人を介すれば簡単に耳に入ることであろう。それに興味を引かれたのだとなんとなく想像ができる。
そんな勝手な行動を叱るわけでもなかったが、千城の父は英人と会うことだけは許さないといった態度だった。
その場では立川もこれ以上のことを言うこともなくすんなりと引き下がっていった。
英人は奥の寝室を使って休むよう言葉を残され、千城の父と共に立川もこの部屋を出て行った。
ふと時計を見ると夜中の12時になりそうな時刻だった。
千城はもう地に足をつけたのだろうか…。
とてもベッドになど入れず、毛布だけを引きずり出した英人は居間の隅でうずくまった。
千城の声を聞かない日は久し振りのような気がした。携帯電話はどこにいってしまったのだろう。鳴らし続けても応答がなければ心配されるのではないだろうか。それとももう千城の父が対応してしまっているのだろうか。英人は誰にでも欲望を表す卑しい身分なのだと報告されているのだろうか。千城には相応しくない常識知らずと改めて伝えられているのだろうか。
明日仕事にいけなかったら神戸は何と思うのだろう。もう仕事もできない気がしてきた。残されたのは体を売る仕事のみのような堕ち潰れた人間像が頭を過る。
不安は尽きることがなかった。
いつの間に眠ってしまったのか、畳の間を近寄ってくる足元で目が覚めた。
「こんなところで寝るなど…」
寝ぼけた頭はまだはっきりと声の主を確認していない。
一晩中淋しさに打ちひしがれていた英人は、声を聞いた途端に弾かれるものがあった。
「ちしろ…?」
ふいに眩しい光が入ってくる。
ぱぁっと雨戸が開け放たれ、広い硝子戸の間口から太陽光が差し込んだ。
「うっ」
突然の眩しさに目も開けられず、毛布の中に潜り込んだ英人を、声をかけた人間は呆れたような溜め息をついて見下ろしているようだった。
「朝食の準備をさせる。着替えを用意しておくから準備ができたら呼びなさい。受話器を取れば自動的に執務室に繋がる」
まだ寝ぼけた頭は言葉をなんとか理解しようとしているところだった。
ようやく思考が回り出す。ここがどこで、この相手が誰で、これからどうなるのかという不安を知った。
恐る恐る毛布をめくり上げてみれば、三つ揃えのスーツをキッチリと着こなしている千城の父が立ったまま英人を見下ろしていた。鋭い眼光は英人を射竦めるようで、千城と重なるようであまり見ていたくない。
「千城は明日戻るそうだ。君がこの本邸にいることも伝えてある。私があの子を勘当すると伝えたのが功を奏したのかな。声色を変えていたよ。当家の名を失うことがどれほどの損害になるのか理解したのだろう」
寝ぼけていた頭は完全に覚醒した。
英人を傍に置くことは千城の首を絞めることにしかならない。
千城の父の言葉を聞けば、千城は英人を捨てると判断したようでもあった。
信じたくないと思いながら、穢れた体を思い出せば千城に見捨てられても仕方のないような気がしてくる。
英人は体中が震え出すのを止められなかった。
呪った…。これまで過ごした卑しくて貧しい身分を心の底から呪った。
たった一人の人に愛される体になれると分かっていたのなら、あんなふうに簡単にどこの男にだって足を開くことはなかった…!!男娼まがいの人生を送り、誰にでも感じてしまう卑しい体になどなりはしなかった…!
それを見られたことがとにかく悔しい。過ごした人生が悔しくてたまらない。
千城はもう二度と自分を愛してなどくれない…。
にほんブログ村
また明かされない聖君の存在…(――〆) つまりはどうでもいいっていうことで…(ええぇぇっ???)
また欄外記述でお許しを…(書けない埋め合わせがここで…)。聖は千城の従弟になります。榛名パパの妹が弥生でお嫁に行って『立川』になり、パパの妻が百合子です。榛名パパにしてみれば千城と同じように可愛がった甥っ子ってところでしょうか。
本当に英人、あれほど酷いことされてこれからもどんだけ酷いことされるか分らないのに、その態度はなんだーーー。いくら千城さんに似てるからって・・・。
お父さんを思い出した?
英人は、ファザコン?
英人くんはなんでも自分だけが悪いなんて思い込まないほうがいい。
みんな他者が悪いんだと放り出して逃げるのはいけないけど、母子を守ることができなかった実父とか、貧しさとか、そして弱かった母親とか・・・いろいろあるんだから、って思っちゃうのは甘えなのかな。
淋しさに負けて流されてしまったことを悔やんでもそんな自分を許してあげる優しさも必要なんだと、自分に甘くしちゃうワタシとしては考えてしまうのですが。
お父さんを思い出した?
英人は、ファザコン?
英人くんはなんでも自分だけが悪いなんて思い込まないほうがいい。
みんな他者が悪いんだと放り出して逃げるのはいけないけど、母子を守ることができなかった実父とか、貧しさとか、そして弱かった母親とか・・・いろいろあるんだから、って思っちゃうのは甘えなのかな。
淋しさに負けて流されてしまったことを悔やんでもそんな自分を許してあげる優しさも必要なんだと、自分に甘くしちゃうワタシとしては考えてしまうのですが。
甲斐様
こんにちは。
> 本当に英人、あれほど酷いことされてこれからもどんだけ酷いことされるか分らないのに、その態度はなんだーーー。いくら千城さんに似てるからって・・・。
> お父さんを思い出した?
> 英人は、ファザコン?
思い出したのは千城です。
うーん、でもどこかで父親ってこういうものなのかーって思っているかも。
優しくされたり親切にされたりすることに慣れてないから、こんなことをされちゃうと簡単に気を許しちゃう英人…
だから危機感がないんですかね…
> 淋しさに負けて流されてしまったことを悔やんでもそんな自分を許してあげる優しさも必要なんだと、自分に甘くしちゃうワタシとしては考えてしまうのですが。
千城のおかげで一時立ち直ったのにね。
開き直れるようになってくれればいいんですけど。
自分が守られるという安心感を失っちゃったから余計にネガティブになっています。
千城の父が言うことが正しいと思いこんじゃっています。
コメント、いつもありがとうございます。
こんにちは。
> 本当に英人、あれほど酷いことされてこれからもどんだけ酷いことされるか分らないのに、その態度はなんだーーー。いくら千城さんに似てるからって・・・。
> お父さんを思い出した?
> 英人は、ファザコン?
思い出したのは千城です。
うーん、でもどこかで父親ってこういうものなのかーって思っているかも。
優しくされたり親切にされたりすることに慣れてないから、こんなことをされちゃうと簡単に気を許しちゃう英人…
だから危機感がないんですかね…
> 淋しさに負けて流されてしまったことを悔やんでもそんな自分を許してあげる優しさも必要なんだと、自分に甘くしちゃうワタシとしては考えてしまうのですが。
千城のおかげで一時立ち直ったのにね。
開き直れるようになってくれればいいんですけど。
自分が守られるという安心感を失っちゃったから余計にネガティブになっています。
千城の父が言うことが正しいと思いこんじゃっています。
コメント、いつもありがとうございます。
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