『篠原画廊』での勤務は非常に落ち着いていた。
清掃と給仕が一葉の仕事といっていいくらいだった。
簡単な事務処理もこなしていたが、ほとんどはひっきりなしに訪れる50~60代のマダムの話相手だった。
マダムの朝は10時から始まり、夕方の4時を過ぎると一気に引けていく。
「もぅ、このコーヒー、美味しいわぁ。そうそう、今日はクッキーを焼いてみたの」
「あら~、私もアップルパイを作ったのよ~」
「嫁が『誕生日祝いに』ってお花を贈ってくれたの。たくさんあるからここの玄関にも飾りましょうね」
『画廊』という言葉は正直あり得ないくらいの、勝手気ままな井戸端会議の場所だった。
篠原が何一つ止めはしないので一葉も従うだけだ。
驚いたことに常連客はマイカップを持参していた。
ショーケースだと思っていた食器の飾られる棚は、”保管庫”だったのだ。
ウェッジウッドだ、ロイヤルコペンハーゲンだ、マイセンだ、と有名ブランドが所狭しと並んでいる。
その価値までははっきりと分からない一葉だったが、割ってはいけないものだということだけは確信して扱いはとても慎重だった。
安住に教えられたとおりのブレンド豆を日替わりで用意することで、更に日に日に来客数が多くなっていたと言っていい。
絵を見ているかどうかは疑問でも、たまに売上表が上がっているのだから、無駄にすごしている日々ではないのだろう。
1週間も過ぎた夕方、ちょうど常連客が引けたころに、中條と那智の姿が現れた。
「あれ、本当に働いているんだ…」
受付で雑務をこなしながら座っていれば、那智の驚いたような声が響いてくる。
一応、仕事先が決まったとメールでの連絡くらいはしていたが、忙しいと思えて短い返信があっただけだった。
この驚き方は、また性に合わないとやめているとでも思ったのだろうか。
ちょうど最後の客を見送った篠原も中條の姿に笑みを浮かべて近付いてきた。
「誠くん、久し振りだね~。朝比奈くんがいなかったら来てくれることなんてなかったんだろう?」
「ご無沙汰しております。そんなことはないんですよ。最近内勤業務に変わってしまって、残業も多いし、なかなか時間ができませんで…」
「忙しいというのはいいことだよ。うちも朝比奈くんが入ってくれてからすっかり客足が伸びてね。買い付けが間に合わないくらいだよ」
「羨ましいです。半分、お客様を頂きたいですね」
「パンフレットコーナーでも作ろうかな。朝比奈くんも前は営業と言っていたから紹介などはお手の物だろう。あ、その時はもちろんマージンをいただかないと」
「篠原さん、業務拡大ですか?多方面に手を伸ばすとリスクも高くなりますよ」
中條の辛辣な口調にも笑顔で答える篠原だった。
二人の間で笑いは絶えることがない。
顔が引きつっていたのは一葉と那智だったのだが…。
篠原が促すように中條を喫茶ルームに連れて行く。
絵を見に来たのではないとすでに承知しているようだった。
一葉はコーヒーの一つも入れることになるのだが、残された那智に隙をぬって小声で話しかけた。
「あ、あのさ、…その、ちょっと話したいことがあるんだけど、いつか時間とれる?」
おどおどと話す口調ぶりに那智も深刻な内容なのだと判断したようで、一瞬眉間を寄せたが『何事?』と首を傾げた。
仕事についてなのか、恋愛についてなのかは那智はまだ見極めていない。
安住との恋愛事と先に話してしまえば時間など作ってくれないのが分かるだけに、一葉は曖昧に誤魔化した。
後日改めてバーで待ち合わせをした時、カウンターに座る那智の隣に誰をも惹きつけるような体躯の良い男がいて一葉が怯んだ。
すぐに那智のお相手を務める人間だと分かる。
これほどの美丈夫にはそうそう逢えない…。
「ごめん。ついてくるって言うこと聞かなくて…」
一葉が車を売る際に『高柳』と紹介された人物に視線を投げてしまえば、こまったように那智が謝罪してきた。
ふたりきりでのお話、とはいかなそうだ…。
にほんブログ村
清掃と給仕が一葉の仕事といっていいくらいだった。
簡単な事務処理もこなしていたが、ほとんどはひっきりなしに訪れる50~60代のマダムの話相手だった。
マダムの朝は10時から始まり、夕方の4時を過ぎると一気に引けていく。
「もぅ、このコーヒー、美味しいわぁ。そうそう、今日はクッキーを焼いてみたの」
「あら~、私もアップルパイを作ったのよ~」
「嫁が『誕生日祝いに』ってお花を贈ってくれたの。たくさんあるからここの玄関にも飾りましょうね」
『画廊』という言葉は正直あり得ないくらいの、勝手気ままな井戸端会議の場所だった。
篠原が何一つ止めはしないので一葉も従うだけだ。
驚いたことに常連客はマイカップを持参していた。
ショーケースだと思っていた食器の飾られる棚は、”保管庫”だったのだ。
ウェッジウッドだ、ロイヤルコペンハーゲンだ、マイセンだ、と有名ブランドが所狭しと並んでいる。
その価値までははっきりと分からない一葉だったが、割ってはいけないものだということだけは確信して扱いはとても慎重だった。
安住に教えられたとおりのブレンド豆を日替わりで用意することで、更に日に日に来客数が多くなっていたと言っていい。
絵を見ているかどうかは疑問でも、たまに売上表が上がっているのだから、無駄にすごしている日々ではないのだろう。
1週間も過ぎた夕方、ちょうど常連客が引けたころに、中條と那智の姿が現れた。
「あれ、本当に働いているんだ…」
受付で雑務をこなしながら座っていれば、那智の驚いたような声が響いてくる。
一応、仕事先が決まったとメールでの連絡くらいはしていたが、忙しいと思えて短い返信があっただけだった。
この驚き方は、また性に合わないとやめているとでも思ったのだろうか。
ちょうど最後の客を見送った篠原も中條の姿に笑みを浮かべて近付いてきた。
「誠くん、久し振りだね~。朝比奈くんがいなかったら来てくれることなんてなかったんだろう?」
「ご無沙汰しております。そんなことはないんですよ。最近内勤業務に変わってしまって、残業も多いし、なかなか時間ができませんで…」
「忙しいというのはいいことだよ。うちも朝比奈くんが入ってくれてからすっかり客足が伸びてね。買い付けが間に合わないくらいだよ」
「羨ましいです。半分、お客様を頂きたいですね」
「パンフレットコーナーでも作ろうかな。朝比奈くんも前は営業と言っていたから紹介などはお手の物だろう。あ、その時はもちろんマージンをいただかないと」
「篠原さん、業務拡大ですか?多方面に手を伸ばすとリスクも高くなりますよ」
中條の辛辣な口調にも笑顔で答える篠原だった。
二人の間で笑いは絶えることがない。
顔が引きつっていたのは一葉と那智だったのだが…。
篠原が促すように中條を喫茶ルームに連れて行く。
絵を見に来たのではないとすでに承知しているようだった。
一葉はコーヒーの一つも入れることになるのだが、残された那智に隙をぬって小声で話しかけた。
「あ、あのさ、…その、ちょっと話したいことがあるんだけど、いつか時間とれる?」
おどおどと話す口調ぶりに那智も深刻な内容なのだと判断したようで、一瞬眉間を寄せたが『何事?』と首を傾げた。
仕事についてなのか、恋愛についてなのかは那智はまだ見極めていない。
安住との恋愛事と先に話してしまえば時間など作ってくれないのが分かるだけに、一葉は曖昧に誤魔化した。
後日改めてバーで待ち合わせをした時、カウンターに座る那智の隣に誰をも惹きつけるような体躯の良い男がいて一葉が怯んだ。
すぐに那智のお相手を務める人間だと分かる。
これほどの美丈夫にはそうそう逢えない…。
「ごめん。ついてくるって言うこと聞かなくて…」
一葉が車を売る際に『高柳』と紹介された人物に視線を投げてしまえば、こまったように那智が謝罪してきた。
ふたりきりでのお話、とはいかなそうだ…。
にほんブログ村
すっかりマダムのアイドルですね。
一葉ちゃんにはぴったりの職場環境のように思います。
相談相手に変な人思いつかないでよかったです。
那智くんが役に立つかどうかは別として・・・。
でもよかった、那智くんの保護者つきで。
仔猫二人で妖しい会話してたら何が起こるかわからないじゃないですか。
ただし、それで相談事を口にするのが躊躇われてしまいそうですけど。
一葉ちゃんにはぴったりの職場環境のように思います。
相談相手に変な人思いつかないでよかったです。
那智くんが役に立つかどうかは別として・・・。
でもよかった、那智くんの保護者つきで。
仔猫二人で妖しい会話してたら何が起こるかわからないじゃないですか。
ただし、それで相談事を口にするのが躊躇われてしまいそうですけど。
きえ | URL | 2010-05-26-Wed 10:38 [編集]
k様
こんにちは
>一葉ちゃん 頑張ってるのね~。ここでも 安住さんの教えが きっちり役に立ってるし 色んな場面で 安住さんは 一葉を成長させてくれてますね。那智 久カップルから 適切なアドバイス貰えるかしら?なんだか あてられそう(*^_^*)
いろーんな意味で成長している一葉だと思います。
安住からの教えはあちこちで活躍しています。
さぁ、なっちたちからどんなアドバイスがもらえるのかしら。
コメントありがとうございました。
こんにちは
>一葉ちゃん 頑張ってるのね~。ここでも 安住さんの教えが きっちり役に立ってるし 色んな場面で 安住さんは 一葉を成長させてくれてますね。那智 久カップルから 適切なアドバイス貰えるかしら?なんだか あてられそう(*^_^*)
いろーんな意味で成長している一葉だと思います。
安住からの教えはあちこちで活躍しています。
さぁ、なっちたちからどんなアドバイスがもらえるのかしら。
コメントありがとうございました。
甲斐様
こんにちは。
> すっかりマダムのアイドルですね。
> 一葉ちゃんにはぴったりの職場環境のように思います。
わたしもぴったりだとおもいます。
笑顔振りまいて、好評を得ていそう。
> 相談相手に変な人思いつかないでよかったです。
> 那智くんが役に立つかどうかは別として・・・。
どっちが良かったんですかね~。
役に立つ人か経たない人か?!(いや、どっちも役にたちますけど…)
> でもよかった、那智くんの保護者つきで。
> 仔猫二人で妖しい会話してたら何が起こるかわからないじゃないですか。
仔猫2匹。
どんな会話が成り立ったんでしょうか。
それも面白いと思いつつ、話が進まないので保護者がこないと…。
アレもいっぱい知っているところはありますからね。(あっちの"先生"並みに)
コメントありがとうございました。
こんにちは。
> すっかりマダムのアイドルですね。
> 一葉ちゃんにはぴったりの職場環境のように思います。
わたしもぴったりだとおもいます。
笑顔振りまいて、好評を得ていそう。
> 相談相手に変な人思いつかないでよかったです。
> 那智くんが役に立つかどうかは別として・・・。
どっちが良かったんですかね~。
役に立つ人か経たない人か?!(いや、どっちも役にたちますけど…)
> でもよかった、那智くんの保護者つきで。
> 仔猫二人で妖しい会話してたら何が起こるかわからないじゃないですか。
仔猫2匹。
どんな会話が成り立ったんでしょうか。
それも面白いと思いつつ、話が進まないので保護者がこないと…。
アレもいっぱい知っているところはありますからね。(あっちの"先生"並みに)
コメントありがとうございました。
| ホーム |