仕事中だったのか、最初こそ岩槻は電話に出ることはなかったが、皆野が留守電に慎弥が来ていることを残すと、時をあけずに皆野の携帯が振動した。
勤務中の私用は避けるべきことだが、トイレに行くふりをして、そこは誤魔化してもらう。
案の定、岩槻は慎弥の行動を知らなかったようだ。
いや、何もかもを知っている兄弟もどうかと思うが…。
『慎弥が伺っているんですか?』
「泊めてくれと言ってきたんです。理由までは語ってくれませんでしたが…」
『今そこに?』
「いえ。うちに送り届けました。帰ってから話を聞こうと思って…」
『すみません。またご迷惑を…。慎弥にこちらから連絡がつかない状態なんです』
岩槻の台詞に、僅かな間に慎弥に連絡を入れたのが知れた。慎弥の様子からしても、携帯の電源など切ってしまっているのだろう。
皆野から連絡がなければ知らなかったままだったらしい。
慎弥にしてみれば、こんなに早く岩槻に報告がいくとも思っていなかったのか…。
だけど岩槻から安堵とも捉えられる吐息が漏れた気がする。
『そちらで良かった…』という小さな呟きが混じっていたのは気のせいか…。
「何かあったんですか?」
皆野の問いかけに岩槻から一瞬の戸惑いが感じられた。
ほんの僅かな合間でも、例え顔が見えなくても、そんな雰囲気を感じ取ってしまえる皆野だ。
聞いてはいけないことだったのかと、皆野も押し黙る。
だが、その沈黙を岩槻はすぐに破ってくれた。
『私が家を出る、と言ったんです。そのことが慎弥にはショックだったようで…』
「家を?」
これこそ、まさに話が見えない展開で、皆野はじっくりと事の流れをききたかった。おうむ返しに尋ねた質問に、機械の向こうで小さな溜め息が漏れた。
『えぇ…。私の方も急な話の流れになってしまったのですが…』
岩槻が抱える仕事に変化が訪れることはすでに知った話。そうともなれば当然私生活にも影響は出てくるはず。
今更それらを理解できない慎弥ではないはずだった。
なのに、なぜ『家出騒動』に発展しているのか、ますます理解できない。慎弥はどんな不満を抱えたというのだろう。
「遠方に出られるということですか?」
『……、いえ、勤務地が変わるわけではないのでその周辺にいることではあるんです…』
岩槻の事業を尋ねるのも、プライベートな内容に首を突っ込むのも職業柄、多少の躊躇いはあるが、今の立場はそんなことも言っていられない。
問えば答えてくれる岩槻を知るから言葉が流れ出てくるが、どうにも歯切れの悪い答え方だった。
これまでと何ら変わらないと言われてしまえば、ライフスタイルを変更する理由がさらに謎になる。
岩槻の躊躇いは、聞いてはいけないことを聞いているのかと皆野に思わせた。
これ以上突っ込んだ質問をして岩槻の機嫌を損ねるのも考えものだが、真実を濁らされたのでは慎弥にどう接していいのかもつかめない。
「何かお考えが?」
単刀直入に尋ねた皆野に、やはり岩槻は沈黙の時を持った。
『……、そろそろ、慎弥から離れてもいい頃かと思いました……』
「…っ?!」
これこそ、どういう意味だ?!と掴みかかって聞きたくなる。
かろうじて言葉を飲み込めたのは、ここが職場だったからかもしれない。
聞き様によっては、慎弥を持て余していたとしか捉えられなかった。
奔放で我が儘で、そのくせ淋しがりやで…、そうしてきたのは岩槻自身ではなかったのか…???
かつて視界に入れた、『弟を甘やかす光景』は全くの幻だったということなのか…?
一瞬の間で皆野の中に芽生えたのは苛立ちと疑惑、加えて憎しみ。
「岩槻さん?」
皆野の言葉の中に剣呑な雰囲気があることを岩槻も感じ取ったようだった。
ふっと口端が上がるような吐息が耳を撫でる。
『大きな誤解を与えたようですね。たった数日でも、慎弥はこれまでと違っていたんですよ。それに、草加さん、貴方を信じたから、私はこれほど早く決断できたのかもしれません』
これまでの慎弥を見てきた。だからこそ分かること。そう言いたげに岩槻は告げてくる。
嫌ってのことではない。見つめている時はこの先も変わらない。ただそれが、すぐ近くか遠くからかの違いに変わるだけ…。
時に人には『勢い』というものが必要である。
皆野と慎弥がまさにそうだったように、今の岩槻にも何かを必要とするものがあったのか…。
そして、岩槻の中では、急に決めたことではなく、以前から考えていたことなのだとも知ることができて、皆野は黙るしかなかった。
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案の定、岩槻は慎弥の行動を知らなかったようだ。
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『慎弥が伺っているんですか?』
「泊めてくれと言ってきたんです。理由までは語ってくれませんでしたが…」
『今そこに?』
「いえ。うちに送り届けました。帰ってから話を聞こうと思って…」
『すみません。またご迷惑を…。慎弥にこちらから連絡がつかない状態なんです』
岩槻の台詞に、僅かな間に慎弥に連絡を入れたのが知れた。慎弥の様子からしても、携帯の電源など切ってしまっているのだろう。
皆野から連絡がなければ知らなかったままだったらしい。
慎弥にしてみれば、こんなに早く岩槻に報告がいくとも思っていなかったのか…。
だけど岩槻から安堵とも捉えられる吐息が漏れた気がする。
『そちらで良かった…』という小さな呟きが混じっていたのは気のせいか…。
「何かあったんですか?」
皆野の問いかけに岩槻から一瞬の戸惑いが感じられた。
ほんの僅かな合間でも、例え顔が見えなくても、そんな雰囲気を感じ取ってしまえる皆野だ。
聞いてはいけないことだったのかと、皆野も押し黙る。
だが、その沈黙を岩槻はすぐに破ってくれた。
『私が家を出る、と言ったんです。そのことが慎弥にはショックだったようで…』
「家を?」
これこそ、まさに話が見えない展開で、皆野はじっくりと事の流れをききたかった。おうむ返しに尋ねた質問に、機械の向こうで小さな溜め息が漏れた。
『えぇ…。私の方も急な話の流れになってしまったのですが…』
岩槻が抱える仕事に変化が訪れることはすでに知った話。そうともなれば当然私生活にも影響は出てくるはず。
今更それらを理解できない慎弥ではないはずだった。
なのに、なぜ『家出騒動』に発展しているのか、ますます理解できない。慎弥はどんな不満を抱えたというのだろう。
「遠方に出られるということですか?」
『……、いえ、勤務地が変わるわけではないのでその周辺にいることではあるんです…』
岩槻の事業を尋ねるのも、プライベートな内容に首を突っ込むのも職業柄、多少の躊躇いはあるが、今の立場はそんなことも言っていられない。
問えば答えてくれる岩槻を知るから言葉が流れ出てくるが、どうにも歯切れの悪い答え方だった。
これまでと何ら変わらないと言われてしまえば、ライフスタイルを変更する理由がさらに謎になる。
岩槻の躊躇いは、聞いてはいけないことを聞いているのかと皆野に思わせた。
これ以上突っ込んだ質問をして岩槻の機嫌を損ねるのも考えものだが、真実を濁らされたのでは慎弥にどう接していいのかもつかめない。
「何かお考えが?」
単刀直入に尋ねた皆野に、やはり岩槻は沈黙の時を持った。
『……、そろそろ、慎弥から離れてもいい頃かと思いました……』
「…っ?!」
これこそ、どういう意味だ?!と掴みかかって聞きたくなる。
かろうじて言葉を飲み込めたのは、ここが職場だったからかもしれない。
聞き様によっては、慎弥を持て余していたとしか捉えられなかった。
奔放で我が儘で、そのくせ淋しがりやで…、そうしてきたのは岩槻自身ではなかったのか…???
かつて視界に入れた、『弟を甘やかす光景』は全くの幻だったということなのか…?
一瞬の間で皆野の中に芽生えたのは苛立ちと疑惑、加えて憎しみ。
「岩槻さん?」
皆野の言葉の中に剣呑な雰囲気があることを岩槻も感じ取ったようだった。
ふっと口端が上がるような吐息が耳を撫でる。
『大きな誤解を与えたようですね。たった数日でも、慎弥はこれまでと違っていたんですよ。それに、草加さん、貴方を信じたから、私はこれほど早く決断できたのかもしれません』
これまでの慎弥を見てきた。だからこそ分かること。そう言いたげに岩槻は告げてくる。
嫌ってのことではない。見つめている時はこの先も変わらない。ただそれが、すぐ近くか遠くからかの違いに変わるだけ…。
時に人には『勢い』というものが必要である。
皆野と慎弥がまさにそうだったように、今の岩槻にも何かを必要とするものがあったのか…。
そして、岩槻の中では、急に決めたことではなく、以前から考えていたことなのだとも知ることができて、皆野は黙るしかなかった。
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