言葉の真意を語らず、すました顔で圭吾はフッと息を吐きながら笑うだけだった。
突っ込んで聞くのは大人げのないことなのだろうか。
さらりと受け流すのが良いのか、確かめた方がいいのか、こんな状況になったことのない孝朗はどうしたものかと悩む。
言われたことで改めて意識することとなってしまった。
…『好き』…。
どのようにも捉えられる言葉だった。
付き合う性格として。友情とも、同僚とも…。
それとも意識した『相手』としても…。
だが自分一人意識しているのだと思わせるのもなんだか悔しい気がした。
それらしい態度が、圭吾から見られなかったせいだ。
焦るのは自分だけ…。
結局、それ以上何も仕掛けてこない圭吾を見て、孝朗は友愛と受け止めて気にしないことに決めてしまった。
いたずらされただけで、何もなかったことにすればいい、と。
そうやってからかいあう人間など五万といるのだろう。
世間知らずな自分が悪いのだと泣き寝入りする気分でもある。
先程までの動きを見なかったことにした。
職場ではセクハラに近いことが繰り返されていた。もちろん同意の上での絡み合いだった。
女性なのに平気で尻を触られる学生もいる。
本気で嫌がられればもちろん注意するが、ほとんどが合意の上での接触になっていた。
おかしい世界だとは分かっていても、慣れてしまうとそれが普通になる。
気にするようなことではないのかもしれない。
そんな世界を垣間見ているだけに、圭吾と共に寝てしまったことも、口を荒げて問うことではないと思ってしまう。
いちいちあげたらきりがない。
スキンシップの一つと言われるようなものばかりの事例をいくつもみていた。
「何言って…。…俺、帰るよ。圭吾、まだ寝るだろ?」
邪魔した、と言わんばかりに孝朗が圭吾を跨ぐ。
そうしなければベッドから降りられなかった。
何も言わずに圭吾は孝朗の動きを見送る。
「ん…。タカ、眠れた?」
投げかけられた質問に、それはこちらの台詞だと言いたくなった。
今から休める孝朗と、働きに行かなければならない圭吾の違いがある。
さらに酔いに任せて、しっかりと睡眠をとってしまった自分がいて、心配されるのが筋違いのようだった。
「寝た…。ごめんな、圭吾、休めなかっただろ…」
「なにが?俺もちゃんと寝てるから気ぃ使うなって」
気遣ってくれているのが端々から伝って染み込んでくるようだった。
それすら自己満足の世界だからと、孝朗を楽にさせてくれる。
押し付けるわけでもなく、自然と接してくれる雰囲気。
食べるものも、安堵させてくれる空間も…。
ふと思う。
ここに溺れてしまうのが怖い。
異動ばかりを繰り返して、休める場所はなかなか手に入れにくい。
挟まれた人間関係の中で、気を許せる懐…。
近い間に離れるものだと分かるだけに、全てを委ねたくはなかった。
誰かに支えてもらえなければならない、弱い男でいたくない。『立場』というものが造り出す虚勢なのだろうが…。
だが反対に縋りたい何かがある。
圭吾は引きとめることもしなかった。そのことが酷く淋しく感じる。
横になる圭吾を置いて部屋を出る。いつもよりずっと、なんだか、その空間が離れ難かった。
いつもかまってくる姿なのに、呼び止められないことが何かを失ったように後ろ髪を引かれる。
一度知った温もり…。
何を得たいのだろう…。自問自答しながら閉めた玄関扉。
昼と夜の交互した勤務を繰り返すこと数日。
圭吾と共に夜の時間を過ごすこともなかった。
顔を合わせても昼の時間や、引き継ぎの時で、周りに人が多いせいか、話もほとんどしない。
二人きりの時とは全く態度がかわってしまう圭吾に、孝朗はこれといって疑問も不満も打ち明けなかった。
一線をおくことで、いつ離れても淋しがらない心を育てているようだった。
深夜のリーダーが存在するホールと、圭吾と到が交代で入る夜中ではすれ違いだけが続く。
たまに他店舗からヘルプという形で社員を借りることもある。
珍しく他店の料理長が自ら昼の時間を請け負ってくれた時があった。
圭吾と到、そして料理長の休みの関係上、他店舗とも連携を組むのはよくある話だった。
孝朗も、違う店に一時的に赴くことはあるから不思議とも思わない。
久々に夜中勤務だという日、出社すると他店舗の料理長、大宮が上がる為の着替えたスーツ姿で裏方をウロウロとしていた。
まだ30歳になったばかりの、恰幅の良い男だった。
優男の孝朗とは対照的なワイルドな雰囲気を全身に纏わせている。
年齢以上に貫禄を持って、培ってきたものが違うとひと目で告げるような威厳を漂わせていた。
アルバイト時代に一緒に働いたことがあったから、初対面でもない。
顔を合わせれば自然と話が始まるくらいの仲だった。
気を使ったのか、夜を任された圭吾は普段よりもずっと早い時間の出社だ。
着替えて更衣室から出てきた孝朗は早速のように大宮に捕まえられた。
厨房全体が見渡せるような場所で、大宮と孝朗の会話は周りの誰にでも聞かれる。
「熊谷~。ネクタイまがってるぞ」
「あ、すみませんっ」
意識するほど捩れていないと思っていたものに手を伸ばされて弾き飛ばすわけにもいかない。
されるがまま、直立不動の体勢を取っていたら、その手がスッと腰と尻を撫でた。
「あっ」
「あいっかわらず、痩せてんなぁ。こんなんじゃ抱き心地がわるいだろ?」
「なにっ、言って…っ(////)」
こんな会話も日常茶飯事だった。
仕事中に堂々とセックスの内容を話す学生すらいる。
経験がない孝朗はいつも顔を赤らめながら、口を閉ざすよう注意する存在でしかない。
振り返り逃げ腰になる細腰を捕まえられ背後から抱きすくめられた。
厨房内の誰もが見ている目の前でだ。
「でも、おまえは締まり、良さそうだよな」
「大宮さんっっ!!!!!」
逃げようともがく孝朗を、誰もがなれたように笑いながら見守っている。
それがこのチェーン店内で”常識”のことだった。おかしいと思わないところが普通じゃない。
ただ一人、圭吾だけが睨みつけるように孝朗を見据えていた。もちろん、誰ひとりとしてそんな圭吾の態度に気付くものはいなかったが…。
大宮の手が離れ、真っ赤になりながら帰っていく後姿を見送る。
恥ずかしいことをされても、この店に来てもらったことの感謝はあった。
「熊谷さん、大宮さんにいたずらされてましたね」
パントリー内に出ると大学生のアルバイトの男がニヤニヤと笑いかけてきた。
「うるさいよっ」
大人げなく口を膨らませてしまう。されたことの恥ずかしさは本人が一番良く知っていた。
それを気にとめない社風はやっぱりどこかおかしい。似たものが集まるとはこういうことを言うのか…。
そんな会話から逃げるように、補充品を求めて保存室へと向かった。
盗品などされないようにと開放された倉庫のようなところだ。
厨房が使うものも多く、厨房の裏手、すぐ脇に作られた空間だった。
孝朗が保存室に足を踏み入れると、後を追ったように圭吾が入ってきた。
何か欲しいものがあったのだろう…。そう思った孝朗に近付かれる。
「何、触らせてんだよっ?!」
低い声が耳元を掠めた。
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突っ込んで聞くのは大人げのないことなのだろうか。
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付き合う性格として。友情とも、同僚とも…。
それとも意識した『相手』としても…。
だが自分一人意識しているのだと思わせるのもなんだか悔しい気がした。
それらしい態度が、圭吾から見られなかったせいだ。
焦るのは自分だけ…。
結局、それ以上何も仕掛けてこない圭吾を見て、孝朗は友愛と受け止めて気にしないことに決めてしまった。
いたずらされただけで、何もなかったことにすればいい、と。
そうやってからかいあう人間など五万といるのだろう。
世間知らずな自分が悪いのだと泣き寝入りする気分でもある。
先程までの動きを見なかったことにした。
職場ではセクハラに近いことが繰り返されていた。もちろん同意の上での絡み合いだった。
女性なのに平気で尻を触られる学生もいる。
本気で嫌がられればもちろん注意するが、ほとんどが合意の上での接触になっていた。
おかしい世界だとは分かっていても、慣れてしまうとそれが普通になる。
気にするようなことではないのかもしれない。
そんな世界を垣間見ているだけに、圭吾と共に寝てしまったことも、口を荒げて問うことではないと思ってしまう。
いちいちあげたらきりがない。
スキンシップの一つと言われるようなものばかりの事例をいくつもみていた。
「何言って…。…俺、帰るよ。圭吾、まだ寝るだろ?」
邪魔した、と言わんばかりに孝朗が圭吾を跨ぐ。
そうしなければベッドから降りられなかった。
何も言わずに圭吾は孝朗の動きを見送る。
「ん…。タカ、眠れた?」
投げかけられた質問に、それはこちらの台詞だと言いたくなった。
今から休める孝朗と、働きに行かなければならない圭吾の違いがある。
さらに酔いに任せて、しっかりと睡眠をとってしまった自分がいて、心配されるのが筋違いのようだった。
「寝た…。ごめんな、圭吾、休めなかっただろ…」
「なにが?俺もちゃんと寝てるから気ぃ使うなって」
気遣ってくれているのが端々から伝って染み込んでくるようだった。
それすら自己満足の世界だからと、孝朗を楽にさせてくれる。
押し付けるわけでもなく、自然と接してくれる雰囲気。
食べるものも、安堵させてくれる空間も…。
ふと思う。
ここに溺れてしまうのが怖い。
異動ばかりを繰り返して、休める場所はなかなか手に入れにくい。
挟まれた人間関係の中で、気を許せる懐…。
近い間に離れるものだと分かるだけに、全てを委ねたくはなかった。
誰かに支えてもらえなければならない、弱い男でいたくない。『立場』というものが造り出す虚勢なのだろうが…。
だが反対に縋りたい何かがある。
圭吾は引きとめることもしなかった。そのことが酷く淋しく感じる。
横になる圭吾を置いて部屋を出る。いつもよりずっと、なんだか、その空間が離れ難かった。
いつもかまってくる姿なのに、呼び止められないことが何かを失ったように後ろ髪を引かれる。
一度知った温もり…。
何を得たいのだろう…。自問自答しながら閉めた玄関扉。
昼と夜の交互した勤務を繰り返すこと数日。
圭吾と共に夜の時間を過ごすこともなかった。
顔を合わせても昼の時間や、引き継ぎの時で、周りに人が多いせいか、話もほとんどしない。
二人きりの時とは全く態度がかわってしまう圭吾に、孝朗はこれといって疑問も不満も打ち明けなかった。
一線をおくことで、いつ離れても淋しがらない心を育てているようだった。
深夜のリーダーが存在するホールと、圭吾と到が交代で入る夜中ではすれ違いだけが続く。
たまに他店舗からヘルプという形で社員を借りることもある。
珍しく他店の料理長が自ら昼の時間を請け負ってくれた時があった。
圭吾と到、そして料理長の休みの関係上、他店舗とも連携を組むのはよくある話だった。
孝朗も、違う店に一時的に赴くことはあるから不思議とも思わない。
久々に夜中勤務だという日、出社すると他店舗の料理長、大宮が上がる為の着替えたスーツ姿で裏方をウロウロとしていた。
まだ30歳になったばかりの、恰幅の良い男だった。
優男の孝朗とは対照的なワイルドな雰囲気を全身に纏わせている。
年齢以上に貫禄を持って、培ってきたものが違うとひと目で告げるような威厳を漂わせていた。
アルバイト時代に一緒に働いたことがあったから、初対面でもない。
顔を合わせれば自然と話が始まるくらいの仲だった。
気を使ったのか、夜を任された圭吾は普段よりもずっと早い時間の出社だ。
着替えて更衣室から出てきた孝朗は早速のように大宮に捕まえられた。
厨房全体が見渡せるような場所で、大宮と孝朗の会話は周りの誰にでも聞かれる。
「熊谷~。ネクタイまがってるぞ」
「あ、すみませんっ」
意識するほど捩れていないと思っていたものに手を伸ばされて弾き飛ばすわけにもいかない。
されるがまま、直立不動の体勢を取っていたら、その手がスッと腰と尻を撫でた。
「あっ」
「あいっかわらず、痩せてんなぁ。こんなんじゃ抱き心地がわるいだろ?」
「なにっ、言って…っ(////)」
こんな会話も日常茶飯事だった。
仕事中に堂々とセックスの内容を話す学生すらいる。
経験がない孝朗はいつも顔を赤らめながら、口を閉ざすよう注意する存在でしかない。
振り返り逃げ腰になる細腰を捕まえられ背後から抱きすくめられた。
厨房内の誰もが見ている目の前でだ。
「でも、おまえは締まり、良さそうだよな」
「大宮さんっっ!!!!!」
逃げようともがく孝朗を、誰もがなれたように笑いながら見守っている。
それがこのチェーン店内で”常識”のことだった。おかしいと思わないところが普通じゃない。
ただ一人、圭吾だけが睨みつけるように孝朗を見据えていた。もちろん、誰ひとりとしてそんな圭吾の態度に気付くものはいなかったが…。
大宮の手が離れ、真っ赤になりながら帰っていく後姿を見送る。
恥ずかしいことをされても、この店に来てもらったことの感謝はあった。
「熊谷さん、大宮さんにいたずらされてましたね」
パントリー内に出ると大学生のアルバイトの男がニヤニヤと笑いかけてきた。
「うるさいよっ」
大人げなく口を膨らませてしまう。されたことの恥ずかしさは本人が一番良く知っていた。
それを気にとめない社風はやっぱりどこかおかしい。似たものが集まるとはこういうことを言うのか…。
そんな会話から逃げるように、補充品を求めて保存室へと向かった。
盗品などされないようにと開放された倉庫のようなところだ。
厨房が使うものも多く、厨房の裏手、すぐ脇に作られた空間だった。
孝朗が保存室に足を踏み入れると、後を追ったように圭吾が入ってきた。
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「な…?!」
近付かれた体が壁際に追い込まれる。
何を言いたいのか意味が分からなかった。
ここは誰が来てもおかしくないような場所だった。店の中だ。閉鎖もされていない。
外から見られる可能性の高い、しかし、細い体の孝朗は圭吾に覆われたら外から見えないような体格だ。
背中をピッタリと一番奥の壁にくっつけて、孝朗は恐る恐る圭吾を見上げた。
こんな風にせまられたことはない…。
どうしてこんなことになったのか…。
「圭吾…」
「っざけんなっ!!!タカ、隙ありすぎっ!!!この前だって俺に平気で触られてたくせにっ!!!」
何故圭吾が怒るのか孝朗は理解できなかった。
…このまえ???…
何のことかと慌てふためく孝朗に、迫りくる体格の良い身体がある。
思考が全く追いつかない。
「いつでもこうか?タカは無防備過ぎだっ」
「何言って…っ」
「こんな風にこれまで過ごしてきたのかよっ?!」
周りには聞こえない低い声。近寄られた空間に息が詰まる。
過去の過ごしてきたあれこれが脳裏を駆け巡っていった。
社風にならったようにさわられた数々はある…。今に始まったことではない…。
しかし圭吾が危惧するような切羽詰まったものはないはずだ。そう思うことがすでにおかしいのだろうか。
たんなる悪戯であった日々。
絡まれたことは多々あり…だが、こんな風に身の危険を感じたことはない。
…身の危険…。
焦っていいはずなのにどこか落ち着いていた。
圭吾だから…。圭吾だから気が許せている。
疑われた事が悔しくもある。
「圭…吾、なに…?」
「すげーゆるせねー。それだけ…」
覆いかぶさるように圭吾の肌が触れた。
囲まれた体は抵抗の一つも見せなかった。叫べば必ず誰かがやってきてくれるような空間で、なすがままにされる。
塞がれる唇。
温かなものに撫でられる唇と口内が訳も分からずに震える。
初めてのくちづけ…。
そうだとも言えなかった。
嫌でもない…。
分からなかった…。
何故こんなことをされるのか…。
唇を触れ合わせるなんて、恋人同士がすることではないのだろうか?
自分と圭吾はそんな仲ではない。
いつ、離れてもおかしくない、異動ばかりを繰り返す人…。
それなのに許してしまう自分は…、店の何かに染められてしまったのか…。
縋りたくない…。そう思うのに頼ってしまいたくなる太い腕。
「け…」
「なんだよ…、どこまでこの体晒すんだ…?」
悔しそうな言葉が浸み渡ってくる。
言いたいことが分からない。圭吾は何を望んでいるのか…。自分に何を求めているのか…。
たぶん、きっと求めるのは同じことなのに、認めたくない、知りたくない、恐怖ばかりが浮かんでくる。
叶わない現実を知っているから…。
縋っても無駄だ。必ず離れる時が来る。
なのに甘やかしてくれる時を束の間でも覚えてしまった。
自分だけが溺れていく…。
「けい…ご…」
「二度と触らせんな。好きだ…」
抱きしめられた体に降り注いだ言葉。
なんのことかと瞳孔が開く。
見上げた先に、苦しそうな表情があった。眉間を寄せて唇を噛みしめて…。
社内恋愛は絶対的に禁止される。
辞めるか異動するか…。共にいることは不可能な環境だ。
隠すことも可能なのだろうがたぶん気付かれるだろう。
ましてや男同士…。
一度知られたら取り返しもつかない。
「う…そ…」
「タカ、ごめん…」
何を謝るのかも分からない。
この瞬間、離れなければいけない現状を知った。
圭吾の想いを受け止めることはできても、同じ職場で過ごすことなどできない。
やがて離れる未来があることを、二人は良く知っていた。
「けい…」
「ずっと言えなかった…。でももう無理…」
囁かれる言葉に時の重みを知る。
圭吾と初めて知り合ったのは3年も前の、違う店だった…。
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6← →8
近付かれた体が壁際に追い込まれる。
何を言いたいのか意味が分からなかった。
ここは誰が来てもおかしくないような場所だった。店の中だ。閉鎖もされていない。
外から見られる可能性の高い、しかし、細い体の孝朗は圭吾に覆われたら外から見えないような体格だ。
背中をピッタリと一番奥の壁にくっつけて、孝朗は恐る恐る圭吾を見上げた。
こんな風にせまられたことはない…。
どうしてこんなことになったのか…。
「圭吾…」
「っざけんなっ!!!タカ、隙ありすぎっ!!!この前だって俺に平気で触られてたくせにっ!!!」
何故圭吾が怒るのか孝朗は理解できなかった。
…このまえ???…
何のことかと慌てふためく孝朗に、迫りくる体格の良い身体がある。
思考が全く追いつかない。
「いつでもこうか?タカは無防備過ぎだっ」
「何言って…っ」
「こんな風にこれまで過ごしてきたのかよっ?!」
周りには聞こえない低い声。近寄られた空間に息が詰まる。
過去の過ごしてきたあれこれが脳裏を駆け巡っていった。
社風にならったようにさわられた数々はある…。今に始まったことではない…。
しかし圭吾が危惧するような切羽詰まったものはないはずだ。そう思うことがすでにおかしいのだろうか。
たんなる悪戯であった日々。
絡まれたことは多々あり…だが、こんな風に身の危険を感じたことはない。
…身の危険…。
焦っていいはずなのにどこか落ち着いていた。
圭吾だから…。圭吾だから気が許せている。
疑われた事が悔しくもある。
「圭…吾、なに…?」
「すげーゆるせねー。それだけ…」
覆いかぶさるように圭吾の肌が触れた。
囲まれた体は抵抗の一つも見せなかった。叫べば必ず誰かがやってきてくれるような空間で、なすがままにされる。
塞がれる唇。
温かなものに撫でられる唇と口内が訳も分からずに震える。
初めてのくちづけ…。
そうだとも言えなかった。
嫌でもない…。
分からなかった…。
何故こんなことをされるのか…。
唇を触れ合わせるなんて、恋人同士がすることではないのだろうか?
自分と圭吾はそんな仲ではない。
いつ、離れてもおかしくない、異動ばかりを繰り返す人…。
それなのに許してしまう自分は…、店の何かに染められてしまったのか…。
縋りたくない…。そう思うのに頼ってしまいたくなる太い腕。
「け…」
「なんだよ…、どこまでこの体晒すんだ…?」
悔しそうな言葉が浸み渡ってくる。
言いたいことが分からない。圭吾は何を望んでいるのか…。自分に何を求めているのか…。
たぶん、きっと求めるのは同じことなのに、認めたくない、知りたくない、恐怖ばかりが浮かんでくる。
叶わない現実を知っているから…。
縋っても無駄だ。必ず離れる時が来る。
なのに甘やかしてくれる時を束の間でも覚えてしまった。
自分だけが溺れていく…。
「けい…ご…」
「二度と触らせんな。好きだ…」
抱きしめられた体に降り注いだ言葉。
なんのことかと瞳孔が開く。
見上げた先に、苦しそうな表情があった。眉間を寄せて唇を噛みしめて…。
社内恋愛は絶対的に禁止される。
辞めるか異動するか…。共にいることは不可能な環境だ。
隠すことも可能なのだろうがたぶん気付かれるだろう。
ましてや男同士…。
一度知られたら取り返しもつかない。
「う…そ…」
「タカ、ごめん…」
何を謝るのかも分からない。
この瞬間、離れなければいけない現状を知った。
圭吾の想いを受け止めることはできても、同じ職場で過ごすことなどできない。
やがて離れる未来があることを、二人は良く知っていた。
「けい…」
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囁かれる言葉に時の重みを知る。
圭吾と初めて知り合ったのは3年も前の、違う店だった…。
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圭吾と一緒にこの店で働き出したのは1年前だ。
3年前、他店舗にヘルプとして行った時に圭吾に出会った。
当時孝朗がいた店には3人の社員がいたから、何かと他店舗に回されることが多かった。
初めて行く店には多少の緊張も混じるが、社員同士はなにかと結びつきがあって、全く知らない存在でもない。
アルバイト時代があった孝朗は尚更だ。知っている人間も数多くいた。
その時も深夜の営業をまかせられた。
細かい事務処理はなく、ただ、店を守る存在としていてほしいという役割。
第一印象の圭吾は孝朗にとって、良くはないものだった。
夜中になった途端、真っ白なコックコートはボタンを外し着崩され、くるぶしまでくるむはずの黒のエプロンも巻いていない。
同じ社員として咎めたい気分はあったが他店舗の人間に言うのは筋違いなのだろう。
夜という、束縛されない気安さもあるのだと思う。
しかも社員としては、自分よりもこの世界で経験を積んでいた人だった。規則は表向きで、実情は崩されるもの。完璧に守られるものでもない。
深夜の勤務の中で、平然と圭吾は眠りについていたし、そんな人間に好印象なんて持てなかった。
覆ったのが共に働くようになってから。
圭吾の動きには無駄がなかった。
全てを見通し先を読む力を備え、周りの人間ともうまくやっていく。
数多くの人間を見てきていたから、その実力の高さはすぐに分かる。
以前見た姿は、サボっている、というよりも要領よくこなした結果であったのだと気付くまでに時間はかからなかった。
色々と話をするうちに自然と打ち解けていく。
夜一緒に働けば、気遣われることもたくさんあった。
ただでさえ人手が減る時間だから、ホールも厨房も協力しあう。
そんななかで感じる親しみと頼りがい。
今、目の前にいる圭吾が、それ以上の、特別な感情をもって自分を見ていたと告げてくる。
社内での恋愛関係なんて嫌というほど見てきたが、自分が対象にされるとは思ってもいなかった。
だがそこには危険が付きまとった。ヘタをすればこの会社にはいられないだろう。
「けい…ご…」
「こんな風に迫られて抵抗も何もなしか?誰にでもこうやって体、渡すのかよ?ムカつき過ぎっ」
一緒に寝てしまったことも今抱きしめられてキスをされたことも、大宮にすら抱きかかえられたことも、”簡単”に体を許すと捉えられてしまうのか…。
そんなことはこれまでなかったことだし、突然のことに抵抗する間がなかっただけ。
経験がないから危機感がないと言われればそれまでなのだが…。
疑われるのは本意ではない。
「違う…」
圭吾だから許せた様々なことだったのかもしれない。
そのことを改めて気付かされる。他の人間だったら、確実に拒否したい心理が浮かぶ。
泊まることだってしないだろう。どれだけ眠い体に鞭打っても自室に帰る。
到と二人きりでの飲みの席を作らなかったのも、なんとなく知れた。
大宮に触れられてしまったのは、迂闊だったのかもしれないけれど、嬉しくも喜ばしいことでもない。
「本庄さーん、オーダー入りましたよ~っ」
遠くから厨房のアルバイトの声が聞こえてきた。
どこにいるのかと探されているのだろう。
「あー、今行くっ」
孝朗に聞かせるような低い声ではなく、響かせる声をあげてから、また圭吾は孝朗に向き直る。
「それ、俺を認めてくれてんの?…タカ、今日終わったらうちに来いよ。話がある」
有無を言わせない口調だった。
頷いたのは、圭吾と離れたくなかったから…。
たくさんの人間と触れあいながら過ごしてきた日々だったが、こんなに安心して過ごせる人はいなかった。
隣で眠ってしまったのも初めてのことだ。
朝を迎えて、一緒に帰った先。
いつものように酒とつまみを用意した圭吾から発せられたのは「一緒に店を辞めないか?」ということだった。
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朝ドラの時間に間に合ったかな…。
3年前、他店舗にヘルプとして行った時に圭吾に出会った。
当時孝朗がいた店には3人の社員がいたから、何かと他店舗に回されることが多かった。
初めて行く店には多少の緊張も混じるが、社員同士はなにかと結びつきがあって、全く知らない存在でもない。
アルバイト時代があった孝朗は尚更だ。知っている人間も数多くいた。
その時も深夜の営業をまかせられた。
細かい事務処理はなく、ただ、店を守る存在としていてほしいという役割。
第一印象の圭吾は孝朗にとって、良くはないものだった。
夜中になった途端、真っ白なコックコートはボタンを外し着崩され、くるぶしまでくるむはずの黒のエプロンも巻いていない。
同じ社員として咎めたい気分はあったが他店舗の人間に言うのは筋違いなのだろう。
夜という、束縛されない気安さもあるのだと思う。
しかも社員としては、自分よりもこの世界で経験を積んでいた人だった。規則は表向きで、実情は崩されるもの。完璧に守られるものでもない。
深夜の勤務の中で、平然と圭吾は眠りについていたし、そんな人間に好印象なんて持てなかった。
覆ったのが共に働くようになってから。
圭吾の動きには無駄がなかった。
全てを見通し先を読む力を備え、周りの人間ともうまくやっていく。
数多くの人間を見てきていたから、その実力の高さはすぐに分かる。
以前見た姿は、サボっている、というよりも要領よくこなした結果であったのだと気付くまでに時間はかからなかった。
色々と話をするうちに自然と打ち解けていく。
夜一緒に働けば、気遣われることもたくさんあった。
ただでさえ人手が減る時間だから、ホールも厨房も協力しあう。
そんななかで感じる親しみと頼りがい。
今、目の前にいる圭吾が、それ以上の、特別な感情をもって自分を見ていたと告げてくる。
社内での恋愛関係なんて嫌というほど見てきたが、自分が対象にされるとは思ってもいなかった。
だがそこには危険が付きまとった。ヘタをすればこの会社にはいられないだろう。
「けい…ご…」
「こんな風に迫られて抵抗も何もなしか?誰にでもこうやって体、渡すのかよ?ムカつき過ぎっ」
一緒に寝てしまったことも今抱きしめられてキスをされたことも、大宮にすら抱きかかえられたことも、”簡単”に体を許すと捉えられてしまうのか…。
そんなことはこれまでなかったことだし、突然のことに抵抗する間がなかっただけ。
経験がないから危機感がないと言われればそれまでなのだが…。
疑われるのは本意ではない。
「違う…」
圭吾だから許せた様々なことだったのかもしれない。
そのことを改めて気付かされる。他の人間だったら、確実に拒否したい心理が浮かぶ。
泊まることだってしないだろう。どれだけ眠い体に鞭打っても自室に帰る。
到と二人きりでの飲みの席を作らなかったのも、なんとなく知れた。
大宮に触れられてしまったのは、迂闊だったのかもしれないけれど、嬉しくも喜ばしいことでもない。
「本庄さーん、オーダー入りましたよ~っ」
遠くから厨房のアルバイトの声が聞こえてきた。
どこにいるのかと探されているのだろう。
「あー、今行くっ」
孝朗に聞かせるような低い声ではなく、響かせる声をあげてから、また圭吾は孝朗に向き直る。
「それ、俺を認めてくれてんの?…タカ、今日終わったらうちに来いよ。話がある」
有無を言わせない口調だった。
頷いたのは、圭吾と離れたくなかったから…。
たくさんの人間と触れあいながら過ごしてきた日々だったが、こんなに安心して過ごせる人はいなかった。
隣で眠ってしまったのも初めてのことだ。
朝を迎えて、一緒に帰った先。
いつものように酒とつまみを用意した圭吾から発せられたのは「一緒に店を辞めないか?」ということだった。
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朝ドラの時間に間に合ったかな…。
「店を辞める」と口に出されたことはあまりにも意外で衝撃だった。
辞めていく人間は何人もみているから不思議なことでもない。
ただ、圭吾から発されたことにショックを覚えた。
圭吾はすでに退社する準備ができているのだと感じられる。つまり、孝朗との別れも意味していた。
いや、異動がつきまとう今の職場で、ずっと同じ店舗で働くのもありえない話なのだが、同じ会社にいるのといないのでは繋がるものが違ってくる。
頼っていたものを失うようなショックだった。
「何、言って…」
しかも自分が店を辞めたら、次に何の仕事に就くのだろう。
そんなことを考えたこともなかった孝朗には突然の話で、思考がついていかない。
「ずっと考えていたんだ。でもタカ、今の仕事、好きだろ?だから声をかけるのはどうかと思って…。できることなら今みたいに一緒に働いていたい。だけどあの店でそれは無理。勤務時間も異動も何もかもがすれ違いだらけだ」
孝朗だって、圭吾と一緒にいられる店の雰囲気は好きだった。
料理長に対するような緊張もなく、到のような危なっかしさもない。
料理を扱う場所にあって、圭吾はマニュアル通りの完璧さを見せてくれていたから安心できた。
「だからって急に辞めるって…」
「専門学校で知り合った先生がさ、今レストランを経営しているんだよね。その人に、声掛けられてんの、俺」
圭吾が調理が好きなのは知っている。こうして目の前に出されている料理を見ればひと手間かけられたものばかりだ。
決められたものばかりを作るファミレスよりも、自分の頭で考えて作り上げたいのだろうと思える。
テーブルの斜め前に座っていた圭吾が、そっと腰をずらして孝朗と並んだ。
伸びてきた手が孝朗を引き寄せて胸の中へとかき抱く。
呆然としていた孝朗はされるがまま大人しく圭吾の腕の強さを感じていた。
「こんなふうに、誰かに触られるタカなんか見たくないし…」
大宮に悪戯されたことを圭吾は引きずっていた。
圭吾も大宮もそうだが、ひとたび抑え込まれたら孝朗の力ではどうにもならない。
ただの悪戯で済まされている職場ではあるが、見る者からすれば気分の良くないものになる行動は蔓延していた。
「けい…ご…」
「本当は何も言わないで辞めようかなって思ってた。でもこの前、うちに泊まった時、タカ、すげぇ無防備だったじゃん。タカさぁ、他の人の前でやたら気を使ってるの、気付いてる?」
「え?」
「いろんな人間を相手にしているんだから仕方ないのは分かるけど、神経張り詰め過ぎって端から見てて思うくらい。そういうとこ、心配もするんだ。だから俺の前で大人しく寝てくれたのが嬉しかった。あの時からこの話を聞かせようかどうしようか悩んでた。自分の思いは別として…。だけど、今日のアレ見て、爆発」
クスリと圭吾が笑う。
告白する気はなく過ごしてきた日々と、安心しきった孝朗を見て信頼を置かれていることの自惚れ、人に対しての嫉妬。
想いを告げてしまったことを少し後悔するような態度でもあった。
様々なものが圭吾から聞かされる。
副店長として働く姿は、他人の目にどう映っていたのだろうか…。
その重責を忘れさせてくれた人…。
大人しく圭吾にもたれかかっている孝朗に、圭吾が囁く。
「俺、嫌じゃない?」
抵抗の一つもしないことを疑問に思っているようでもあった。
他の人間に触れられればすぐにでも逃げ出したくなるのに、ここにある安堵は何なのだろう。
「ん…」
「もう一回、ちゃんと言う。俺、タカのこと好き。一緒に店、やろう」
この後も孝朗が就く仕事は接客として変わらない。
経営の管理までできる事務仕事まで理解している孝朗だからこそ、ただの恋愛感情だけに収まらず誘われている。
そのことは孝朗の中でも自信に繋がった。
圭吾は孝朗が感じる不安や悩みを自然と感じ取ってくれる。
店内で圭吾にからかわれていたのも孝朗の緊張や堅苦しさをとるためだった。
表面的な慰めは他人からもいくらでももらったが、圭吾からもたらされるものは違う。
気付いた今、余計に離れ難い存在へと変わっていく。
あの日、朝感じた淋しさを、素直に表現すればいいのだと言われているようだった。
いつか離れるのだと思い込んで、誰にも甘えることをせず、誰かに溺れようともしない…。
自分が恋愛に疎かったのは、人が常に『離れる存在』だったからなのかもしれない。
「圭吾…」
降り下りてくる唇を受け入れた。
「守ってやる、ずっと…」
初めての温もりは優しく孝朗を包む。
緊張することなく過ごせる相手に心が吐息を洩らしたようだった。
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8← →10
辞めていく人間は何人もみているから不思議なことでもない。
ただ、圭吾から発されたことにショックを覚えた。
圭吾はすでに退社する準備ができているのだと感じられる。つまり、孝朗との別れも意味していた。
いや、異動がつきまとう今の職場で、ずっと同じ店舗で働くのもありえない話なのだが、同じ会社にいるのといないのでは繋がるものが違ってくる。
頼っていたものを失うようなショックだった。
「何、言って…」
しかも自分が店を辞めたら、次に何の仕事に就くのだろう。
そんなことを考えたこともなかった孝朗には突然の話で、思考がついていかない。
「ずっと考えていたんだ。でもタカ、今の仕事、好きだろ?だから声をかけるのはどうかと思って…。できることなら今みたいに一緒に働いていたい。だけどあの店でそれは無理。勤務時間も異動も何もかもがすれ違いだらけだ」
孝朗だって、圭吾と一緒にいられる店の雰囲気は好きだった。
料理長に対するような緊張もなく、到のような危なっかしさもない。
料理を扱う場所にあって、圭吾はマニュアル通りの完璧さを見せてくれていたから安心できた。
「だからって急に辞めるって…」
「専門学校で知り合った先生がさ、今レストランを経営しているんだよね。その人に、声掛けられてんの、俺」
圭吾が調理が好きなのは知っている。こうして目の前に出されている料理を見ればひと手間かけられたものばかりだ。
決められたものばかりを作るファミレスよりも、自分の頭で考えて作り上げたいのだろうと思える。
テーブルの斜め前に座っていた圭吾が、そっと腰をずらして孝朗と並んだ。
伸びてきた手が孝朗を引き寄せて胸の中へとかき抱く。
呆然としていた孝朗はされるがまま大人しく圭吾の腕の強さを感じていた。
「こんなふうに、誰かに触られるタカなんか見たくないし…」
大宮に悪戯されたことを圭吾は引きずっていた。
圭吾も大宮もそうだが、ひとたび抑え込まれたら孝朗の力ではどうにもならない。
ただの悪戯で済まされている職場ではあるが、見る者からすれば気分の良くないものになる行動は蔓延していた。
「けい…ご…」
「本当は何も言わないで辞めようかなって思ってた。でもこの前、うちに泊まった時、タカ、すげぇ無防備だったじゃん。タカさぁ、他の人の前でやたら気を使ってるの、気付いてる?」
「え?」
「いろんな人間を相手にしているんだから仕方ないのは分かるけど、神経張り詰め過ぎって端から見てて思うくらい。そういうとこ、心配もするんだ。だから俺の前で大人しく寝てくれたのが嬉しかった。あの時からこの話を聞かせようかどうしようか悩んでた。自分の思いは別として…。だけど、今日のアレ見て、爆発」
クスリと圭吾が笑う。
告白する気はなく過ごしてきた日々と、安心しきった孝朗を見て信頼を置かれていることの自惚れ、人に対しての嫉妬。
想いを告げてしまったことを少し後悔するような態度でもあった。
様々なものが圭吾から聞かされる。
副店長として働く姿は、他人の目にどう映っていたのだろうか…。
その重責を忘れさせてくれた人…。
大人しく圭吾にもたれかかっている孝朗に、圭吾が囁く。
「俺、嫌じゃない?」
抵抗の一つもしないことを疑問に思っているようでもあった。
他の人間に触れられればすぐにでも逃げ出したくなるのに、ここにある安堵は何なのだろう。
「ん…」
「もう一回、ちゃんと言う。俺、タカのこと好き。一緒に店、やろう」
この後も孝朗が就く仕事は接客として変わらない。
経営の管理までできる事務仕事まで理解している孝朗だからこそ、ただの恋愛感情だけに収まらず誘われている。
そのことは孝朗の中でも自信に繋がった。
圭吾は孝朗が感じる不安や悩みを自然と感じ取ってくれる。
店内で圭吾にからかわれていたのも孝朗の緊張や堅苦しさをとるためだった。
表面的な慰めは他人からもいくらでももらったが、圭吾からもたらされるものは違う。
気付いた今、余計に離れ難い存在へと変わっていく。
あの日、朝感じた淋しさを、素直に表現すればいいのだと言われているようだった。
いつか離れるのだと思い込んで、誰にも甘えることをせず、誰かに溺れようともしない…。
自分が恋愛に疎かったのは、人が常に『離れる存在』だったからなのかもしれない。
「圭吾…」
降り下りてくる唇を受け入れた。
「守ってやる、ずっと…」
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二人が再び夜の時間に一緒になる日、かなり早い時間に出社して、ほぼ同時に退職願を出した。当然、誰からも不審な目を向けられた。
近くの店舗にいたというエリアマネージャーは店長から連絡をもらうなりすっ飛んできて、店長も料理長も帰れなくなっている。
そのことは申し訳なかったが、話をするのは二人一緒のほうがスムーズだった。何より、店の主である人物と引き継ぎのできる時。
客席の一席を占領して5人で繰り広げられる会話に、誰もが興味津々だったが、雰囲気から近付けないでいた。
圭吾は二人の想いはともかく、一緒に働くことを隠さずに伝えた。すでに仕事の話があったことも。
過酷な労働時間や自分が希望する創作料理の世界に異論を唱える者もいない。
そうやって何人もの人間の出入りを見てきた人間たちばかりだ。
孝朗も異動と深夜勤務の多さを口実としてあげて、圭吾の話に乗った、ということになった。
店長、料理長、エリアマネージャーを送り出し、アルバイトなどから質問攻めにあう。
それらを適当にかわしながら、それぞれの仕事に入った。
他店舗に話が伝わるのはあっという間で、1時間もしないうちに店の電話や自分の携帯電話が鳴りまくった。
こういう話は連絡網でもあるのかというくらいに、親しい社員同士でそれぞれにやりあってしまう。
突然入ってきた退社の話題に食らいついてくる人間は、人との繋がりが多い世界だけに膨大だ。
結局一晩中誰かの話相手になってしまったような一夜だった。
こうしてまたどこかの社員の異動が繰り返されていく。
「やっと熊谷さんと飲めると思ったら、これが最後ってなんですかーっっっ」
圭吾の部屋に孝朗と到が入り込んだ。
個人的な『飲み』の会はそれぞれに良く行われているが、アルバイトたちを連れて寮に来ることは滅多にない。
勤務時間もあるからみんなが揃うこともなくて、必ずといっていいほど誰かが参加できなかった。
今日、圭吾の部屋に来たのは、ごく親しい人間しか呼ばなかったからだった。
孝朗と圭吾が揃って最後の労働を済ませたあとの夜。
他の店からヘルプを借りたことで厨房は圭吾と到の深夜勤務ではなかった。
このあと、勤務を終えたホールの契約社員である所沢と、厨房でアルバイトをする大学生の鳩ケ谷が合流する。
圭吾の部屋ではいつもの席、といった感じで、四角いテーブルを囲んで、孝朗の斜め前に圭吾が座り、正面に到がいた。
すでに買いそろえた品々が所狭しとテーブルの上を飾っている。
ブーブーと頬を膨らませる到を、圭吾が笑いながらなだめる。
「いーじゃん。一回も飲めなかったより~」
「本庄さんばっかり~」
「深谷くんには悪いことしちゃったね」
今更ながら、少しの罪悪感が生まれた。隣り合って住んでいるのだから、少しくらい話に付き合ってやるべきだったとも思う。
「俺、ずーっと待ってたのに~」
「だから100年はぇーって言っただろ」
さすがに厨房でアレコレと会話を続けてきた二人の会話のテンポは良い。
目の前で繰り広げられる雑談を微笑ましげに聞いていると、玄関チャイムが鳴る。
「おっ、来たな―」
圭吾が出迎えに席を立った。同じ時間に上がった二人が元気な声を上げながら入ってくる。
孝朗の一つ年下の所沢は、孝朗と似たような華奢なタイプだった。少し控え目なのだが、人懐っこい笑顔が客にも好評だ。
一方の鳩ケ谷は非常に明るく活発な性格をしている。厨房内でもちょこまかと良く動くために圭吾にこき使われていた(可愛がられていた)。
狭い部屋は、入ればすぐに全体が見渡せる。
一番奥に置かれたベッドを前に座った孝朗を目にするなり、鳩ケ谷が目を輝かせた。
「熊谷さんの私服姿、初めて見た―っ」
いつも制服かスーツ姿でいるからなのか、すっかり寛いだ綿のシャツ一枚だけの格好が珍しく見えるらしい。
改めて言われると、それだけのことがなんだか気恥ずかしく思えた。
こうして『壁』を作り続けていたのだということも知らされる。
圭吾が言っていた『他人の前で気を遣いすぎる』ことだったのか…。
所沢が手にしていたコンビニの袋を圭吾に手渡している。
「差し入れです。最後にご一緒できて良かったです」
「今度はうちの店で会おうぜ」
今生の別れではないと圭吾が笑顔を向ける。
圭吾は自分で使っていたグラス類を孝朗の横へと寄せた。対面になるように二人を促す。
「おまえたち、ここ、座れよ」
「俺たちが並んで座りますよ」
鳩ケ谷が狭い位置に追いやるようだと圭吾の申し出を断ってくる。
「いいから。こっち、上座だし~」
適当な理由を並べ立てて、孝朗の隣に座りたがった心が見えて、なんだかそれが嬉しかった。
こんなふうに誰かに身を寄せられる安心感を感じる。
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なんだかアヤシイ夜が…。
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近くの店舗にいたというエリアマネージャーは店長から連絡をもらうなりすっ飛んできて、店長も料理長も帰れなくなっている。
そのことは申し訳なかったが、話をするのは二人一緒のほうがスムーズだった。何より、店の主である人物と引き継ぎのできる時。
客席の一席を占領して5人で繰り広げられる会話に、誰もが興味津々だったが、雰囲気から近付けないでいた。
圭吾は二人の想いはともかく、一緒に働くことを隠さずに伝えた。すでに仕事の話があったことも。
過酷な労働時間や自分が希望する創作料理の世界に異論を唱える者もいない。
そうやって何人もの人間の出入りを見てきた人間たちばかりだ。
孝朗も異動と深夜勤務の多さを口実としてあげて、圭吾の話に乗った、ということになった。
店長、料理長、エリアマネージャーを送り出し、アルバイトなどから質問攻めにあう。
それらを適当にかわしながら、それぞれの仕事に入った。
他店舗に話が伝わるのはあっという間で、1時間もしないうちに店の電話や自分の携帯電話が鳴りまくった。
こういう話は連絡網でもあるのかというくらいに、親しい社員同士でそれぞれにやりあってしまう。
突然入ってきた退社の話題に食らいついてくる人間は、人との繋がりが多い世界だけに膨大だ。
結局一晩中誰かの話相手になってしまったような一夜だった。
こうしてまたどこかの社員の異動が繰り返されていく。
「やっと熊谷さんと飲めると思ったら、これが最後ってなんですかーっっっ」
圭吾の部屋に孝朗と到が入り込んだ。
個人的な『飲み』の会はそれぞれに良く行われているが、アルバイトたちを連れて寮に来ることは滅多にない。
勤務時間もあるからみんなが揃うこともなくて、必ずといっていいほど誰かが参加できなかった。
今日、圭吾の部屋に来たのは、ごく親しい人間しか呼ばなかったからだった。
孝朗と圭吾が揃って最後の労働を済ませたあとの夜。
他の店からヘルプを借りたことで厨房は圭吾と到の深夜勤務ではなかった。
このあと、勤務を終えたホールの契約社員である所沢と、厨房でアルバイトをする大学生の鳩ケ谷が合流する。
圭吾の部屋ではいつもの席、といった感じで、四角いテーブルを囲んで、孝朗の斜め前に圭吾が座り、正面に到がいた。
すでに買いそろえた品々が所狭しとテーブルの上を飾っている。
ブーブーと頬を膨らませる到を、圭吾が笑いながらなだめる。
「いーじゃん。一回も飲めなかったより~」
「本庄さんばっかり~」
「深谷くんには悪いことしちゃったね」
今更ながら、少しの罪悪感が生まれた。隣り合って住んでいるのだから、少しくらい話に付き合ってやるべきだったとも思う。
「俺、ずーっと待ってたのに~」
「だから100年はぇーって言っただろ」
さすがに厨房でアレコレと会話を続けてきた二人の会話のテンポは良い。
目の前で繰り広げられる雑談を微笑ましげに聞いていると、玄関チャイムが鳴る。
「おっ、来たな―」
圭吾が出迎えに席を立った。同じ時間に上がった二人が元気な声を上げながら入ってくる。
孝朗の一つ年下の所沢は、孝朗と似たような華奢なタイプだった。少し控え目なのだが、人懐っこい笑顔が客にも好評だ。
一方の鳩ケ谷は非常に明るく活発な性格をしている。厨房内でもちょこまかと良く動くために圭吾にこき使われていた(可愛がられていた)。
狭い部屋は、入ればすぐに全体が見渡せる。
一番奥に置かれたベッドを前に座った孝朗を目にするなり、鳩ケ谷が目を輝かせた。
「熊谷さんの私服姿、初めて見た―っ」
いつも制服かスーツ姿でいるからなのか、すっかり寛いだ綿のシャツ一枚だけの格好が珍しく見えるらしい。
改めて言われると、それだけのことがなんだか気恥ずかしく思えた。
こうして『壁』を作り続けていたのだということも知らされる。
圭吾が言っていた『他人の前で気を遣いすぎる』ことだったのか…。
所沢が手にしていたコンビニの袋を圭吾に手渡している。
「差し入れです。最後にご一緒できて良かったです」
「今度はうちの店で会おうぜ」
今生の別れではないと圭吾が笑顔を向ける。
圭吾は自分で使っていたグラス類を孝朗の横へと寄せた。対面になるように二人を促す。
「おまえたち、ここ、座れよ」
「俺たちが並んで座りますよ」
鳩ケ谷が狭い位置に追いやるようだと圭吾の申し出を断ってくる。
「いいから。こっち、上座だし~」
適当な理由を並べ立てて、孝朗の隣に座りたがった心が見えて、なんだかそれが嬉しかった。
こんなふうに誰かに身を寄せられる安心感を感じる。
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なんだかアヤシイ夜が…。
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