トルコ料理の定番と言われるケバブは非常に種類が多く、はっきりいって毎日「肉」の日々だった。
本来『焼き肉』のことをケバブと呼ぶらしい。串に刺さっているとか、何の種類の肉とかはまた呼び名が変わるようだが、常に『肉』が目の前にあるのは日々変わらなかった。
圭吾が何故飽きないのか、胸やけなど起こさないのかと不思議になるが、そこは食に対しての興味の違いもあるらしい。
「持って帰りたい」と圭吾は言うが、もちろん、叶わない話。
もう、残りの日もすくないという、ある日の夕食。羊のもも肉を串焼きにしたシシケバブを目の前で焼いてくれる店で、圭吾は調理台の前から一歩も動かなかった。
客が興味を示すのは当然のことなのか、店員も慣れてはいたが、あまりの真剣ぶりに「なんだ?」と逆に問われる。
興味本位でカメラを取り出し撮影するわけでもなく、じっくりと眺められているのだから訝しさがあって当然だ。
決して綺麗な店ではなかったが、地元の人間が多く集う場所であって、味には定評がある。ホテルの従業員から聞きだした店だった。
こういった場所に圭吾はとても惹かれていく。
店主はつたない英語ではあったが、多少は理解してくれるのか、孝朗を間に置いて通訳まがいに圭吾のことを「料理人」と告げると徐に握手を求めてきた。
「スシ、サシミ、カラオケ」と片言の日本語を語られるのも驚いたが、親しみがあるのがとてもよく伝わる。
衛生上の問題も何もないのか、圭吾を焼き台の前に立たせてくれた。
そのことにいたく感動している圭吾がいる。
自分が食べる分は自分で作っていい、といった雰囲気で、圭吾に串を握らせてくれて、さらに店の味付けも教えてくれる。それをばらしていいのかどうかは疑問だったが、店主が進めてくれるのだから問題もないのだろう。
圭吾が包丁を握ることを最初は渋った店主だったが、どこか興味を惹かれたように行方を見守ってくれた。
繊細な手付きで肉をスライスし、『日本版焼き肉』を披露すると、店主だけでなく、地元の人間からも拍手が沸き起こった。
圭吾は常に『醤油』を持ち歩いていたから、魅惑の味を作ることができた。
実際自分たちには口にあわない料理も数多くあったし、それを独自の力で変えてしまうのはどうかと思われるところもあったけど…。
これは圭吾なりの『お礼』だったのだ。
ゼスチャーで繰り返される会話と、進められる酒に、高揚感はどんどんと増していく。
こんな旅行だって、圭吾がいなかったらありえない。ツアーで来ても味わえないはずだ。
交流がとてもありがたかった。旅をしているのだと強く感じることができる。
そして、食へのこだわりも感じられた。
最終的に支払った金額が、正しいものなのかどうなのかも分からなかった。しかし、ホテルのレストランよりも格段に安いのだけは知れる。
もし高い金を払っていたとしても、教えてもらったものがあるというのは孝朗の中にもある。
客と隔たりを持たずに、一体化して迎えてくれる環境は、再び訪れたいという親近感を生みだしていた。
こうして人との繋がりを持った店づくりをしていけたらいい、と、将来に向けた希望は湧いてくる。
もちろん、環境などは日本とは全く異なるのだろうが…。
「タカ、タカぁ、すげー、うれし―――」
興奮を纏った圭吾が帰りのタクシーの中で懐いてくる。
多少の通訳はしたものの、実際にパフォーマンスを行ったのは圭吾であって、孝朗が褒められることはなかったと思ってしまう。
地元民との交流も圭吾の興奮を後押ししているのだろう。
「ん。俺も楽しかった」
つたない会話ではあっても通じてくる言葉はある。
片言の英語と片言の日本語。親日家だと言われるトルコ人の思いも感じられた。
「あぁぁ、もっと感じたい、こういうのーー」
でも残された時間はあまりにも少ない。もっと早く、見つけだせてあげたら良かったのに…と心の底で後悔もしていた。
まぁ、厨房に入れるなんて、ごく稀なことで、早々あり得ることではないのは、同じ職場にいる圭吾だから知れることなのかもしれないけど…。
食べるだけではなく、作ると言う、違う味わい方をした圭吾の、持ちかえる土産の数はあまりにもすごかった。
土産…というより、自分用なのだろう。
エジプシャン・バザールで買い占めた香辛料はもちろん、すぐにトルコ料理になるレトルト食材など、多種多様にスーツケースの中に詰め込まれていく。
当然のようにラクやトルコ産ワインも忘れられていない。
帰国してからも当分『トルコ気分』を味わうらしい。
喜びそうな越谷の姿が何となしに浮かんでしまったが…。
圭吾が堂々と越谷の前で、本場のトルコ料理を披露(できるかどうかはまぁ別として)する姿が脳裏を横切ると、自分の事のように喜ばしく思う。
そうやって成長していく姿をみるのは決して嫌なことではない。
イスタンブールでの最後の夜、二人は再び寄り添った。
明日の朝にはこの地を離れることになる。
「タカが居てくれて良かった…」
「圭吾がいたから楽しめた…」
言葉の問題や味のこと。思うことはいっぱいあるけれど、充実した時間を過ごせたのは互いがあったからこそ…。
「ずっと一緒にいるよ…」
圭吾の言葉に溺れていく。
近くに居たいと深く思う…。
「圭吾…」
静かに囁く言葉に降り注いでくる唇がある。
重なる唇の奥に、「うん…」とそっと肯定の言葉が流れ落ちた。
そう、囁くように言われることが何と嬉しいことなのか…。
人は、『いつか離れていく存在』と思わなくなった。
この旅行で自分も確実に変化を遂げたことに孝朗は気付く。
にほんブログ村
ぽちっとしていただけると嬉しいです。
さあ、日本に帰りましょう。
30← →32
本来『焼き肉』のことをケバブと呼ぶらしい。串に刺さっているとか、何の種類の肉とかはまた呼び名が変わるようだが、常に『肉』が目の前にあるのは日々変わらなかった。
圭吾が何故飽きないのか、胸やけなど起こさないのかと不思議になるが、そこは食に対しての興味の違いもあるらしい。
「持って帰りたい」と圭吾は言うが、もちろん、叶わない話。
もう、残りの日もすくないという、ある日の夕食。羊のもも肉を串焼きにしたシシケバブを目の前で焼いてくれる店で、圭吾は調理台の前から一歩も動かなかった。
客が興味を示すのは当然のことなのか、店員も慣れてはいたが、あまりの真剣ぶりに「なんだ?」と逆に問われる。
興味本位でカメラを取り出し撮影するわけでもなく、じっくりと眺められているのだから訝しさがあって当然だ。
決して綺麗な店ではなかったが、地元の人間が多く集う場所であって、味には定評がある。ホテルの従業員から聞きだした店だった。
こういった場所に圭吾はとても惹かれていく。
店主はつたない英語ではあったが、多少は理解してくれるのか、孝朗を間に置いて通訳まがいに圭吾のことを「料理人」と告げると徐に握手を求めてきた。
「スシ、サシミ、カラオケ」と片言の日本語を語られるのも驚いたが、親しみがあるのがとてもよく伝わる。
衛生上の問題も何もないのか、圭吾を焼き台の前に立たせてくれた。
そのことにいたく感動している圭吾がいる。
自分が食べる分は自分で作っていい、といった雰囲気で、圭吾に串を握らせてくれて、さらに店の味付けも教えてくれる。それをばらしていいのかどうかは疑問だったが、店主が進めてくれるのだから問題もないのだろう。
圭吾が包丁を握ることを最初は渋った店主だったが、どこか興味を惹かれたように行方を見守ってくれた。
繊細な手付きで肉をスライスし、『日本版焼き肉』を披露すると、店主だけでなく、地元の人間からも拍手が沸き起こった。
圭吾は常に『醤油』を持ち歩いていたから、魅惑の味を作ることができた。
実際自分たちには口にあわない料理も数多くあったし、それを独自の力で変えてしまうのはどうかと思われるところもあったけど…。
これは圭吾なりの『お礼』だったのだ。
ゼスチャーで繰り返される会話と、進められる酒に、高揚感はどんどんと増していく。
こんな旅行だって、圭吾がいなかったらありえない。ツアーで来ても味わえないはずだ。
交流がとてもありがたかった。旅をしているのだと強く感じることができる。
そして、食へのこだわりも感じられた。
最終的に支払った金額が、正しいものなのかどうなのかも分からなかった。しかし、ホテルのレストランよりも格段に安いのだけは知れる。
もし高い金を払っていたとしても、教えてもらったものがあるというのは孝朗の中にもある。
客と隔たりを持たずに、一体化して迎えてくれる環境は、再び訪れたいという親近感を生みだしていた。
こうして人との繋がりを持った店づくりをしていけたらいい、と、将来に向けた希望は湧いてくる。
もちろん、環境などは日本とは全く異なるのだろうが…。
「タカ、タカぁ、すげー、うれし―――」
興奮を纏った圭吾が帰りのタクシーの中で懐いてくる。
多少の通訳はしたものの、実際にパフォーマンスを行ったのは圭吾であって、孝朗が褒められることはなかったと思ってしまう。
地元民との交流も圭吾の興奮を後押ししているのだろう。
「ん。俺も楽しかった」
つたない会話ではあっても通じてくる言葉はある。
片言の英語と片言の日本語。親日家だと言われるトルコ人の思いも感じられた。
「あぁぁ、もっと感じたい、こういうのーー」
でも残された時間はあまりにも少ない。もっと早く、見つけだせてあげたら良かったのに…と心の底で後悔もしていた。
まぁ、厨房に入れるなんて、ごく稀なことで、早々あり得ることではないのは、同じ職場にいる圭吾だから知れることなのかもしれないけど…。
食べるだけではなく、作ると言う、違う味わい方をした圭吾の、持ちかえる土産の数はあまりにもすごかった。
土産…というより、自分用なのだろう。
エジプシャン・バザールで買い占めた香辛料はもちろん、すぐにトルコ料理になるレトルト食材など、多種多様にスーツケースの中に詰め込まれていく。
当然のようにラクやトルコ産ワインも忘れられていない。
帰国してからも当分『トルコ気分』を味わうらしい。
喜びそうな越谷の姿が何となしに浮かんでしまったが…。
圭吾が堂々と越谷の前で、本場のトルコ料理を披露(できるかどうかはまぁ別として)する姿が脳裏を横切ると、自分の事のように喜ばしく思う。
そうやって成長していく姿をみるのは決して嫌なことではない。
イスタンブールでの最後の夜、二人は再び寄り添った。
明日の朝にはこの地を離れることになる。
「タカが居てくれて良かった…」
「圭吾がいたから楽しめた…」
言葉の問題や味のこと。思うことはいっぱいあるけれど、充実した時間を過ごせたのは互いがあったからこそ…。
「ずっと一緒にいるよ…」
圭吾の言葉に溺れていく。
近くに居たいと深く思う…。
「圭吾…」
静かに囁く言葉に降り注いでくる唇がある。
重なる唇の奥に、「うん…」とそっと肯定の言葉が流れ落ちた。
そう、囁くように言われることが何と嬉しいことなのか…。
人は、『いつか離れていく存在』と思わなくなった。
この旅行で自分も確実に変化を遂げたことに孝朗は気付く。
にほんブログ村
ぽちっとしていただけると嬉しいです。
さあ、日本に帰りましょう。
30← →32
S様
拍手ありがとうございます。
>今日もご飯前に読んだので、思いっきり美味しそうでした(^^)
ケバブ――。色々な味があります。
それを探すのも面白いです。
『美味しそう』と思ってもらえるように書けていたかな?
コメントありがとうございました。
拍手ありがとうございます。
>今日もご飯前に読んだので、思いっきり美味しそうでした(^^)
ケバブ――。色々な味があります。
それを探すのも面白いです。
『美味しそう』と思ってもらえるように書けていたかな?
コメントありがとうございました。
旅行の写真をいっぱい見せられていたけれど どれも真剣になんか眺めませんでした。
あー、うん、ふーん、そうだねー
って感じで。
で、自分の子供たちの成長記録は見せていたんだ…。
ごめんなさい、って心底思います。
話を読んでいるだけで海外旅行に行っている気分になれます。
こんなことなら もっといっぱい聞いておけばよかったと思います。
きえさんがトルコに行った頃、私はトルコという国を全く知りませんでした。
だから余計に聞き流していました。
写真もいつの間にか数枚になって…。
もっとちゃんと見てあげればよかったな、話も聞いてあげればよかったな…
何もかも遅いけど。
でも、この作品を読んでいると、楽しんでいたのだなと思えてくるのです。
もう一回くらい、温泉旅行いきたかったね。
家族があるから家をあけたらダメだっていわれたけど。
あー、うん、ふーん、そうだねー
って感じで。
で、自分の子供たちの成長記録は見せていたんだ…。
ごめんなさい、って心底思います。
話を読んでいるだけで海外旅行に行っている気分になれます。
こんなことなら もっといっぱい聞いておけばよかったと思います。
きえさんがトルコに行った頃、私はトルコという国を全く知りませんでした。
だから余計に聞き流していました。
写真もいつの間にか数枚になって…。
もっとちゃんと見てあげればよかったな、話も聞いてあげればよかったな…
何もかも遅いけど。
でも、この作品を読んでいると、楽しんでいたのだなと思えてくるのです。
もう一回くらい、温泉旅行いきたかったね。
家族があるから家をあけたらダメだっていわれたけど。
このお話読むと美味しいものが食べたくなって、旅行に行きたくなります。
きえちんがたくさん旅行して、楽しんだんだなあってわかりますね。
みかさんは、写真見せてもらってたんですね。
私は、別宅とかで見てました。
いつか、時間が出来たら行きたいなあと思ってた国にも行ってて羨ましい~って。
あ、丘の住人と温泉…
いつか、行きたいなあ。
地主はきっと見ててくれるはずだからね。
きえちんがたくさん旅行して、楽しんだんだなあってわかりますね。
みかさんは、写真見せてもらってたんですね。
私は、別宅とかで見てました。
いつか、時間が出来たら行きたいなあと思ってた国にも行ってて羨ましい~って。
あ、丘の住人と温泉…
いつか、行きたいなあ。
地主はきっと見ててくれるはずだからね。
旅行の話はもちろんなのでしょうけれど
働いていた場所も…。
たぶん きっと 同じところで働いていたから、あんなことかなーとリアルに想像できてしまいます。
だから余計に親近感がわくのかもしれません。
写真 飽きるんですよね。
興味がないから余計だったのでしょうけど
適当に見ていました。
彼女が語った言葉すら記憶にないくらい、本当に適当に…。
もう一度解説して、と言ったって、すでに時は遅く…。
何ででしょうね
過ぎた日々を振り返っては後悔しています。
もっとあの時、とか、もう少しああすれば…とか。
腐組合の皆さんで温泉旅行とか楽しそうですね。
その時は是非 ノートもお持ちいたします(←)
ただ、読みふけって終わる…かな?
働いていた場所も…。
たぶん きっと 同じところで働いていたから、あんなことかなーとリアルに想像できてしまいます。
だから余計に親近感がわくのかもしれません。
写真 飽きるんですよね。
興味がないから余計だったのでしょうけど
適当に見ていました。
彼女が語った言葉すら記憶にないくらい、本当に適当に…。
もう一度解説して、と言ったって、すでに時は遅く…。
何ででしょうね
過ぎた日々を振り返っては後悔しています。
もっとあの時、とか、もう少しああすれば…とか。
腐組合の皆さんで温泉旅行とか楽しそうですね。
その時は是非 ノートもお持ちいたします(←)
ただ、読みふけって終わる…かな?
| ホーム |