「仕事に戻って」とさりげなく羽生に促されて、その席を離れはするものの、通常通りの仕事ができなくなってしまうのはすぐだった。
ぎこちなさは店長にも指摘されたが、声をかけられたことをばらしてはいけないと判断した口は自然と噤む。
羽生と皆野は、春日に声をかけた後、言付けは終わったと言わんばかりに店を後にしていった。
春日の腰に巻かれたエプロンの中で名刺が存在を主張している。
幾度も再確認しようと思いながらも、勤務中の現在、些細な行動が波乱を招くようで咎められた。
何がどうなっているのかも分からず、一番に連絡を取りたいのは当然のように熊谷だった。
仕事の終わりを待って、メールで連絡を入れれば、すぐに返信が来るものの、突然ファミレスに現れた羽生の行動はさすがに熊谷も知れないらしい。
『後で聞いてあげる』と気遣ってくれる言葉はありがたく、春日と羽生を繋ぐ橋のように思えた。
やはり、熊谷はどこまでも頼りになる上司に変わりはなかった。
面倒事まで全て引き受けてしまう態度に申し訳なさはあるものの、親切心には縋りたいところが多く有り難さが込み上げてくる。
このような人間ともう一度働いてみたい…。それは願望でもある。
翌日に熊谷から連絡が来た。あまりにも予想外の連絡事項だった。
『羽生さんは、所沢君をうちの店に引き抜きたいらしい』
「はい~っ??!!」
その内容は意外すぎて、場所を構わず大声を張り上げた。その場はいつもメールを確認する、ファミレスの休憩所である。
休憩時間に見たメールに対しての返事だった。
当然聞こえている厨房から深谷が、「どうしました~?」と声をかけてきた。
あまりの驚きに声を抑えられなかったことを今更ながらに後悔する。
かといって、深くプライベートに突っ込んでくる人たちではないし、中途半端な今、伝えたいことでもない。
「あ~、いや、なんでもないし~。ちょっとびっくりメールが…」
誤魔化せばそのまま素通りしてくれる。
しかし、春日の胸は激しい鼓動を刻んでいた。
役職を持った熊谷などとは明らかに違う立場を充分に承知している羽生のはずだ。先日見に来た羽生だって、しがない契約社員と知っていておかしくない。
それが何故、『引き抜き』という形に入ったのかこれっぽっちも想像がつかない。
大慌てでメールを返信するが、作業に追われているのか、その日に熊谷から返事が来ることはなかった。
影ながら、「詳しいことは羽生さんに聞いてくれ」と言われているようでもある。熊谷では答えきれないのだろう。
悶々とした一日を過ごした。
心ここにあらずの動きは当然ミスの連発であり、店長からも料理長からも小言を言われて心配された。
「疲れてんのか?具合、悪いなら言えよ。今日は暇だから上がっていいぞ」
失敗を繰り返せば店の損害になるだけで、体調不良と捉えた店長から慈しみの声がかけられる。
そのことが申し訳なかったが、考える時間をもらえることはありがたかった。
こんなことが続いては今の職場にも迷惑をかけるだけだと踏んだ春日は、羽生の連絡先を鳴らした。
レストランの営業時間は承知している。夜の9時を過ぎたばかりではまだ仕事もあるかと思ったが、熊谷をあてにするのは気の毒だと判断した春日は直接羽生の携帯番号を押していた。
熊谷の性格を考えればどこまでも自分に関わろうとしてくる。その点、羽生は直接自分の元へ訪れた積極性があった。
熊谷自身が何も知らなかったこともある。間接的に話を聞くよりも、羽生の懐を叩いた方が話が早い。
知らない番号だったからなのか、最初訝しそうな声が聞こえたが、名乗ればすぐに柔らかな返答がきた。
こんなところからも、一切、熊谷とも本庄とも話をしていないことが知れた。
繋がりがあれば、少なくても、春日の番号くらい、知ろうとしていたのではないか…。
『連絡をもらえてうれしいよ』
羽生の言葉が鼓膜を撫でるように響いてくる。
『孝朗君から少しは事情を聞いてしまったのかな?』
正式に決まるまで秘密裏にするつもりだったのが、なんとなく言葉端に熊谷にすら内緒にしようとした気が聞けた。
熊谷から問われたから、最低限の胸の内を明かした…、そんなところなのだろうか…。
それを馬鹿正直に春日に伝えてきてしまったのは熊谷であり、今更撤回もできない状況になってしまったのか…。
俄かに抱いていた期待がなんとなく砕かれていく感じがした。
所詮、自分はまだ…、『評価段階』なのだと…。
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ぎこちなさは店長にも指摘されたが、声をかけられたことをばらしてはいけないと判断した口は自然と噤む。
羽生と皆野は、春日に声をかけた後、言付けは終わったと言わんばかりに店を後にしていった。
春日の腰に巻かれたエプロンの中で名刺が存在を主張している。
幾度も再確認しようと思いながらも、勤務中の現在、些細な行動が波乱を招くようで咎められた。
何がどうなっているのかも分からず、一番に連絡を取りたいのは当然のように熊谷だった。
仕事の終わりを待って、メールで連絡を入れれば、すぐに返信が来るものの、突然ファミレスに現れた羽生の行動はさすがに熊谷も知れないらしい。
『後で聞いてあげる』と気遣ってくれる言葉はありがたく、春日と羽生を繋ぐ橋のように思えた。
やはり、熊谷はどこまでも頼りになる上司に変わりはなかった。
面倒事まで全て引き受けてしまう態度に申し訳なさはあるものの、親切心には縋りたいところが多く有り難さが込み上げてくる。
このような人間ともう一度働いてみたい…。それは願望でもある。
翌日に熊谷から連絡が来た。あまりにも予想外の連絡事項だった。
『羽生さんは、所沢君をうちの店に引き抜きたいらしい』
「はい~っ??!!」
その内容は意外すぎて、場所を構わず大声を張り上げた。その場はいつもメールを確認する、ファミレスの休憩所である。
休憩時間に見たメールに対しての返事だった。
当然聞こえている厨房から深谷が、「どうしました~?」と声をかけてきた。
あまりの驚きに声を抑えられなかったことを今更ながらに後悔する。
かといって、深くプライベートに突っ込んでくる人たちではないし、中途半端な今、伝えたいことでもない。
「あ~、いや、なんでもないし~。ちょっとびっくりメールが…」
誤魔化せばそのまま素通りしてくれる。
しかし、春日の胸は激しい鼓動を刻んでいた。
役職を持った熊谷などとは明らかに違う立場を充分に承知している羽生のはずだ。先日見に来た羽生だって、しがない契約社員と知っていておかしくない。
それが何故、『引き抜き』という形に入ったのかこれっぽっちも想像がつかない。
大慌てでメールを返信するが、作業に追われているのか、その日に熊谷から返事が来ることはなかった。
影ながら、「詳しいことは羽生さんに聞いてくれ」と言われているようでもある。熊谷では答えきれないのだろう。
悶々とした一日を過ごした。
心ここにあらずの動きは当然ミスの連発であり、店長からも料理長からも小言を言われて心配された。
「疲れてんのか?具合、悪いなら言えよ。今日は暇だから上がっていいぞ」
失敗を繰り返せば店の損害になるだけで、体調不良と捉えた店長から慈しみの声がかけられる。
そのことが申し訳なかったが、考える時間をもらえることはありがたかった。
こんなことが続いては今の職場にも迷惑をかけるだけだと踏んだ春日は、羽生の連絡先を鳴らした。
レストランの営業時間は承知している。夜の9時を過ぎたばかりではまだ仕事もあるかと思ったが、熊谷をあてにするのは気の毒だと判断した春日は直接羽生の携帯番号を押していた。
熊谷の性格を考えればどこまでも自分に関わろうとしてくる。その点、羽生は直接自分の元へ訪れた積極性があった。
熊谷自身が何も知らなかったこともある。間接的に話を聞くよりも、羽生の懐を叩いた方が話が早い。
知らない番号だったからなのか、最初訝しそうな声が聞こえたが、名乗ればすぐに柔らかな返答がきた。
こんなところからも、一切、熊谷とも本庄とも話をしていないことが知れた。
繋がりがあれば、少なくても、春日の番号くらい、知ろうとしていたのではないか…。
『連絡をもらえてうれしいよ』
羽生の言葉が鼓膜を撫でるように響いてくる。
『孝朗君から少しは事情を聞いてしまったのかな?』
正式に決まるまで秘密裏にするつもりだったのが、なんとなく言葉端に熊谷にすら内緒にしようとした気が聞けた。
熊谷から問われたから、最低限の胸の内を明かした…、そんなところなのだろうか…。
それを馬鹿正直に春日に伝えてきてしまったのは熊谷であり、今更撤回もできない状況になってしまったのか…。
俄かに抱いていた期待がなんとなく砕かれていく感じがした。
所詮、自分はまだ…、『評価段階』なのだと…。
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