ヴーヴーと機械が振動を告げるような物音で目が覚めた。音を切ってある携帯電話が鳴っているのだとわかる。
寝起き直後に目にするには見慣れない天井に、咄嗟に身体を起こそうとして下半身に響く鈍痛に顔をしかめる。
肌を撫でるのは衣類などではなく、起毛の毛布だった。
それと同時に自分が全裸でいることに気付く。
そして昨夜、自分の身に何が起こったのかも思い出した。
無造作に脱がされたはずのスーツはきちんと整えられコートハンガーに掛けられていた。
その中に携帯電話は入っているはずだし、音もそこから聞こえる。
たったわずかな距離のはずなのに、野崎の身体は自由に動かなかった。
しばらく鳴り続けていた振動音もやがて止まり、また響きだす。
野崎は身体に鞭を打って、どうにか起き上がると毛布で前の部分を覆いながらコートハンガーへと近付いた。
呼び出し主を見て溜め息を吐く。
『榛名千城』と写し出された名前に時計を見る気力すら失った。
通話ボタンを押せばこちらが何を言うよりも先に「どこにいるんだ?!」と怒声が聞こえた。後にも先にも業務に支障をきたしたことなどない。
「すみません、すぐ…」
言いかけた言葉が途切れる。
あまりの声の掠れ方に、電話口の向こうの千城も異変に気付いたようだった。
『体調でも悪いのか?』
「いえ、そんなことは…」
この男に誤魔化しがきかないのは分かっていても口をつくのは定番の言葉ばかり。
のろのろと先程まで寝ていたソファに戻り、だるい身体を再び横にした。
空気が思いのほか冷たかったというのもあって毛布に身をくるんでしまう。
『無理はしなくていい。スケジュールは秘書室に預けてあるんだろう?今日は広重(ひろしげ:第二秘書)を連れるから早く治してくれ』
千城にとって野崎がいないとはどんな状況になるのか想像は容易い。
自惚れているわけではないが、自分の代役が他の人間に務まるとも思っていないし、野崎と同レベルの行動が取れない側近に千城がイラつくのも時間の問題だ。
野崎は多少の遅れを取っても追いつこうと頭を巡らせた。
壁掛けの時計を目にすれば、まだ勤務時間も始まって間もない。
とはいえ、千城が出勤してきてから…だが…。
「午前の会議が終わる頃までには顔を出せるようにいたします」
『ここで野崎に無理をされて長引かれたほうがよほど悪い。一日や二日ならどうにでもなる。会議資料や調査中の案件など………』
すでに野崎が用意しておいた書類に目を通しながら会話を進めているのは電話口から聞こえる物音で分かった。
内容などは頭に入っていたから、黙って千城の話を聞いていると、事務所のドアが突然開いた。
「美琴、着替えを持ってきてやったぞ」
野崎の状況を確認する前に、水谷の声が否応なく響き、それは当然千城の耳にも入っていておかしくなかった。電話での会話は当然のように途切れた。
寝転がっていた野崎が咄嗟に振り仰ぎ、携帯電話を片手にしている姿を見れば水谷も状況を把握したのだろう。黙りはしたがすでに遅い…。
野崎は一瞬にして頭を抱えた。静寂が通話口にも事務所内にも漂う。
先に口を開いたのは千城で、フッと笑う息さえ耳元を襲ってくる。脳裏にはその表情がありありと浮かんだ。
『看病してくれる奴がいるようだから安心か。…明日は必ず出社しろ』
台詞の前後は全く口調が異なった。語尾は完全な命令だった。
これ以上ないくらいの嫌味を浴びて、一言も返せずにいるうちに電話は切れている。
先程千城は『一日や二日』と言ったが、二日目があるはずがなかった。
そして間違いなく明日千城は出社しない。
快楽に溺れた代償はあまりにも大きかった。
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次回最終話です。
寝起き直後に目にするには見慣れない天井に、咄嗟に身体を起こそうとして下半身に響く鈍痛に顔をしかめる。
肌を撫でるのは衣類などではなく、起毛の毛布だった。
それと同時に自分が全裸でいることに気付く。
そして昨夜、自分の身に何が起こったのかも思い出した。
無造作に脱がされたはずのスーツはきちんと整えられコートハンガーに掛けられていた。
その中に携帯電話は入っているはずだし、音もそこから聞こえる。
たったわずかな距離のはずなのに、野崎の身体は自由に動かなかった。
しばらく鳴り続けていた振動音もやがて止まり、また響きだす。
野崎は身体に鞭を打って、どうにか起き上がると毛布で前の部分を覆いながらコートハンガーへと近付いた。
呼び出し主を見て溜め息を吐く。
『榛名千城』と写し出された名前に時計を見る気力すら失った。
通話ボタンを押せばこちらが何を言うよりも先に「どこにいるんだ?!」と怒声が聞こえた。後にも先にも業務に支障をきたしたことなどない。
「すみません、すぐ…」
言いかけた言葉が途切れる。
あまりの声の掠れ方に、電話口の向こうの千城も異変に気付いたようだった。
『体調でも悪いのか?』
「いえ、そんなことは…」
この男に誤魔化しがきかないのは分かっていても口をつくのは定番の言葉ばかり。
のろのろと先程まで寝ていたソファに戻り、だるい身体を再び横にした。
空気が思いのほか冷たかったというのもあって毛布に身をくるんでしまう。
『無理はしなくていい。スケジュールは秘書室に預けてあるんだろう?今日は広重(ひろしげ:第二秘書)を連れるから早く治してくれ』
千城にとって野崎がいないとはどんな状況になるのか想像は容易い。
自惚れているわけではないが、自分の代役が他の人間に務まるとも思っていないし、野崎と同レベルの行動が取れない側近に千城がイラつくのも時間の問題だ。
野崎は多少の遅れを取っても追いつこうと頭を巡らせた。
壁掛けの時計を目にすれば、まだ勤務時間も始まって間もない。
とはいえ、千城が出勤してきてから…だが…。
「午前の会議が終わる頃までには顔を出せるようにいたします」
『ここで野崎に無理をされて長引かれたほうがよほど悪い。一日や二日ならどうにでもなる。会議資料や調査中の案件など………』
すでに野崎が用意しておいた書類に目を通しながら会話を進めているのは電話口から聞こえる物音で分かった。
内容などは頭に入っていたから、黙って千城の話を聞いていると、事務所のドアが突然開いた。
「美琴、着替えを持ってきてやったぞ」
野崎の状況を確認する前に、水谷の声が否応なく響き、それは当然千城の耳にも入っていておかしくなかった。電話での会話は当然のように途切れた。
寝転がっていた野崎が咄嗟に振り仰ぎ、携帯電話を片手にしている姿を見れば水谷も状況を把握したのだろう。黙りはしたがすでに遅い…。
野崎は一瞬にして頭を抱えた。静寂が通話口にも事務所内にも漂う。
先に口を開いたのは千城で、フッと笑う息さえ耳元を襲ってくる。脳裏にはその表情がありありと浮かんだ。
『看病してくれる奴がいるようだから安心か。…明日は必ず出社しろ』
台詞の前後は全く口調が異なった。語尾は完全な命令だった。
これ以上ないくらいの嫌味を浴びて、一言も返せずにいるうちに電話は切れている。
先程千城は『一日や二日』と言ったが、二日目があるはずがなかった。
そして間違いなく明日千城は出社しない。
快楽に溺れた代償はあまりにも大きかった。
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次回最終話です。
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いや~いい気味だー
千城さんもこれで、めったにないミコちゃんの弱みを握ったわけですね。
きっとあの一言で鋭い線城さんには、『看病してくれる相手』の声の主は分ったと思う。
ワタシの中ではかわいい英人くんをいじめる嫌やつのレッテルは当分はがれないので、情事に溺れて仕事に支障をきたす(実際きたしたかどうかは別として)みたいな有能な秘書としては許せないことしてしまうっていうのがいい気味だーの中身でした。
千城さんもこれで、めったにないミコちゃんの弱みを握ったわけですね。
きっとあの一言で鋭い線城さんには、『看病してくれる相手』の声の主は分ったと思う。
ワタシの中ではかわいい英人くんをいじめる嫌やつのレッテルは当分はがれないので、情事に溺れて仕事に支障をきたす(実際きたしたかどうかは別として)みたいな有能な秘書としては許せないことしてしまうっていうのがいい気味だーの中身でした。
甲斐様
こんにちは。
> いや~いい気味だー
恨まれていますね~のざき~ぃ。
英人をいじめちゃったことがものすごい怨念みたいになっていますね。
千城サンも何気に野崎の行動を見ておりますので、昨夜はどこに行った…とか知っていますから…。
供物として差し出している場所もご存知のことと思います。
有能な秘書も時には人間らしい…ということで。
しばらく、当分、こんな『間違い』はない野崎だと思います。
コメントありがとうございました。
こんにちは。
> いや~いい気味だー
恨まれていますね~のざき~ぃ。
英人をいじめちゃったことがものすごい怨念みたいになっていますね。
千城サンも何気に野崎の行動を見ておりますので、昨夜はどこに行った…とか知っていますから…。
供物として差し出している場所もご存知のことと思います。
有能な秘書も時には人間らしい…ということで。
しばらく、当分、こんな『間違い』はない野崎だと思います。
コメントありがとうございました。
きえ | URL | 2010-03-26-Fri 11:15 [編集]
MO様
こんにちは。
>あちゃ~(>_<) 千城にバレちゃいましたね~。部下を労わる優しい上司から、部下の弱みを握る傍若無人な我がまま上司に変身ですね。こうなったら、水谷に再度 癒してもらうしかないでしょうかね~(^_^;) 水谷は大人ですから・・・
もともと我が儘な上司です。
脇役救済編と、勝手に名付けて今年度をスタートしておりますが…。
全然救済してない?!と今頃になって気付いています。
まぁ、何かあったら暖かい懐で包んでくれる水谷だと思います。
でもきっと『感情』はないでしょうね。
そんな大人の時間でした。
コメントありがとうございました。
こんにちは。
>あちゃ~(>_<) 千城にバレちゃいましたね~。部下を労わる優しい上司から、部下の弱みを握る傍若無人な我がまま上司に変身ですね。こうなったら、水谷に再度 癒してもらうしかないでしょうかね~(^_^;) 水谷は大人ですから・・・
もともと我が儘な上司です。
脇役救済編と、勝手に名付けて今年度をスタートしておりますが…。
全然救済してない?!と今頃になって気付いています。
まぁ、何かあったら暖かい懐で包んでくれる水谷だと思います。
でもきっと『感情』はないでしょうね。
そんな大人の時間でした。
コメントありがとうございました。
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